4月ということでもうすぐKYも終わりなわけですけども、あのなかで時たま思い出したように更新されていたQ&Aは、あのサイトのコンテンツの中でも結構なお気に入りでした。
吉井の回答も、ふざけたものからすごくシリアスなものまで多種多様で面白かったですし、中には「楽器の音以外でどんな音が好きですか?」「愛し合ったあとの心臓の音」というような、
チャー!シュー!メーン!
と叫ばないではいられない発言もあり、かと思えば「基本的に可愛がって欲しい。本当は可愛がって欲しい。てか、もっと可愛がれ!!」というザ・吉井和哉!な名言も飛び出したりして楽しかった。
そのなかでふたつほど非常に印象深いものがあるのですが、ひとつは
「時々昔のことを思い出してはやりきれない気持ちになることがあるのですが、
吉井さんにはそういうことありますか?またそういうときどうやり過ごしますか?
俺の場合気がかわるまでやりきれない気持ちを堪能します。」
という質問に対する答え。
やりきれない気持ちを思い出すというのは、オレもよくやります、、。
そしてやはり、自分もその気持ちを堪能します。
でもやりきれない気持ちは、いつか優しさに繋がるはずだと自分は信じています。
「優しさに繋がる」という話もですが、それよりも「その気持ちを堪能する」というところがすごく印象的。でも人間にはそういうところがありますよね。
質問をした彼のセンスも、それをきちんと受け止めている吉井のセンスもいいなと思った記憶があります。
もうひとつは、自分は詩を書いているんだけど、それが最近書けなくなってしまった、ひとにはどうでもいいと思われることかもしれないけど、それは自分にとってはすごく大事なことで、吉井さんは書けないときどうしていますか、という問いに対する答え。
吉井は君にとってそれが大事なことだという気持ちはすごくよくわかる、としたうえで、そういうときはなにか嫌いなことについて書いてみると違うものが見えてくるかもしれないよ、とアドバイスしていたのだった。
そんなもん、吉井と較べるなという話かもしれないけど私も自分のサイトの日記で書けない書けないとしょっちゅう頭を抱えていて、そんなもんただの日記でなにかの作品ですらないのに何を寝ぼけとるんだ書けないならやめりゃいいって話なんですけど、でもあのサイトについてはそれでやめるぐらいなら最初からやらない方がマシだとも思っているのでやめたくない。それは「人にとってはどうでもいいと思われることだけれども自分にとっては大切なこと」なわけだけれども、吉井がその気持ちを「よくわかる」とした優しさにも感じ入ったし、そこで「ちょっと休んでみればいい」とか「自分を信じることだよ」とかいう抽象的なことではなくて、あくまでも「書き続けるための具体的なアドバイス」をしたことにもすごく感動したのだった。それからときどき、このアドバイスを思い出して日記のネタを考えたりしています。
しかし、不思議なのはこれだけ鮮明に覚えているのにそのQ&Aがサイトのどこを探しても見つからないということなのだ。なぜ?Q&Aじゃなかったのかな。それとも勝手な妄想だったのかな(こんな具体的な妄想・・・怖すぎ)。去年の1月頃の話だったと思うんですけどね。どなたか記憶にある人いらっしゃらないだろうか。