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回るぼくらのブルース

日曜日、斉藤和義@オーロラホールのライブに行ってきましたのです〜!お友達のおかげでそれはそれはもうすばらしいお席で観させて頂いたのでいいだけガン見してきました。ガン見してきました。ガン見してきました。僕はなんて言えばいいんだろう(お礼を言えばいいんじゃないか?)しかしオーロラホール超満でした。ダフのおっちゃんも買うよ、買うよしか言うてなかった。

以下若干ばれあるのでたたみます。 
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23:00 | comments(0) | -

夢から覚めし人

1月7日に渋谷公会堂のエレファントカシマシのライブを観に行って、それがライブ初めだったわけですが、なんでしょう、時の流れに身を任せているうちにこんなに…時間が…。というわけでいまさらレポもなにもないですが、行ってきたよということで。blogをライフログがわりにする私。

しかしもう渋公ではやっぱ小さいんだろうな…という気がしましたね。会場前に「譲ってください」の紙をもった方がたくさん。いやいい会場ですけどさ。大阪の新春もないし、そりゃどうしても激戦になってしまいますよね。でも、晴れて渋公に戻った嬉しさからか、宮本先生がことあるごとに「渋公―!」ってコールしてたのはよかったです。

ホーンセクションとストリングスをところどころ入れるというなんともゴージャスで新年一発目!というのに相応しい華やかさでした。ストリングスは武道館とかでも拝見してるけど、ホーンセクションががっつり入ったエレカシのステージ初めて見ます。

それだけサポートを入れているのに、そして2日間しか公演がないのに、初日のセトリと3分の1ぐらい変えてきてたっていうのがあとでわかってやっぱすげえなと思いました。新春や日比谷は毎回セットリストが楽しみですけど、未来の生命体、漂う人の性とデドアラの曲が入って嬉しかったです。あと、とうとう!「普通の日々」が聴けたーーー!去年の春のツアーで、3日目ぐらいまでセトリに入っていたのに浜松で外されてかなしかったの…。ようやく念願叶いました!

寒き夜が聴けたのも嬉しかったなー。真冬のロマンチックもそうだけど、季節感重視で選曲してくれるところが素敵です。風もよかった。そういえば、あの男椅子を持ち上げて「これ座りにくくなっちゃったんだよ、なんか斜めになってて…直してもらえるのかな」とか仰ってたんですけど、買い換え前提じゃないところがたいそうステキと思った次第です。

本編の最後にもってきた「あなたのやさしさを俺は何にたとえよう」はホーンもストリングスも入ったフルメンバー。原曲のアレンジに忠実になったわけで、さすが本編ラストに相応しい、圧倒的なスケール感でした。ある種多幸感みたいなものが会場をおおっていたと思います。それにしても、「敗北と死に至る道が生活」ってほんとに凄い歌詞だなあ。メンバー紹介もこの曲中でやってくれたのですが、なにしろ人数が多いので大変!総合司会の宮本さんご苦労様でした。

そこでハケていくときに宮本が「第一部終了」つったのは笑いました、確かにエレカシのアンコールは「第二部」と言って差し支えない。

そのアンコールの後半にパワイン、ガスト、ファイティングマンというこれ以上ないぐらいゴリゴリの楽曲を持ってくるあたりがすごい。しかもこのあたりからどんどん声の調子がよくなっていたような気さえします…(なんなら最初よりも出てるんじゃないか的な…)。ファイティングマンの「自信をすべて失っても誰かがおまえを待ってる」のあと、「少なくとも俺は待ってる」って言ってくれたのはぐっときました。

トリプルアンコールだったんですが、ソーメニーの前に、ホーン隊のひとに「これやらないんですか?」と言われて気がついたみたいな話されてました。しかしここにきてソーメニー…タフすぎる。とかいって、ラストはもちろん「待つ男」なんですけどね。いやー凄まじかったな。えっライブ今からはじまるんですかぐらいなパワフルさと気迫(と声)だった。なんなんだこの人。

一年の最初に宮本に「富士に太陽ちゃんとある」と言われると、縁起物じゃないけどなんかめでたい!って感じになりますよね。

この日、2階席だったんですかねえ、まあなんとも言えないしょうもないかけ声をする人がいて、あー興が削がれるなあ、と思ったんですけど、宮本が「告白は石くんを通してしてください、ここは公共の場だからね!」と絶妙な切り返しをして笑いに変えてくれていたのはさすがだなあと思いました。漂う人の性とか、2曲ぐらい曲の途中でやり直したりしたところもあったんですけど、そんなにグダグダにもならなかったかな。あとここまで何度となく見ているのに今更!な話で恐縮なんですけど、ヒラマさんの仕事師ぶりというか、風のときのギターとか、なんぞ…!と震撼するほどよかった。ミッキーかっこいい(だから今更何を言うか)。

15:16 | comments(2) | -

2011年の音楽

あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いいたします。
年明け恒例の振り返りエントリ。

2010年の参加ライブ本数24本(たぶん)。イベントが3つで計27…ま、だいたいこんなもんなんでしょうね。ここ3年ぐらい芝居もライブもあまり増減ない。二つ合わせると60本超なので、それぐらいが今のペースってことなんでしょうなあ。

一番回数見てるのは言うまでもなく吉井さんで24本のうち吉井のワンマンが10本という有様です。ヒッヒッヒ。いや去年のこの振り返りエントリで「来年は吉井の回数が増える」言うてるからね。イベントもRIJF、J-WAVE、ロックロックとすべからく吉井絡みですしおすし。

次に多いのがエレカシでワンマン4本、その次がスピッツで3本。あとはユニコーンだったり民生だったり魂だったり。

演劇ライターの徳永京子さんが、毎年その年のベスト、というようなものを聞かれるけれど、今年はそのアンケートに一切答えないことにしたという趣旨のテキストをblogにあげていらっしゃって、個人的にその想いにはふかく賛同するものの、しかし私は2011年のベスト作品を選ぶことにそういった心理的な抵抗は薄いなと思ったのも正直な気持ちでした。でも、ことライブについては、ベストの1本というのを選ぶことができない、すくなくとも今年は特にそう思います。そしてそれは徳永さんが書かれているように「3月10日までに観た舞台の「素晴らしかった」と、11日以降に観た舞台の「素晴らしかった」の間にある亀裂を埋めるカギカッコが、まだ私には見つからない」という感覚と近いものがあるような気がします。

その差がどこから生まれてくるのかというのは自分でもよくわかりませんが、おそらくは芝居を観るときは「その世界」に没頭して見ている感覚、一種の遮断装置のようなものがありますが、ライブはやはり自分のその時の心情や環境により大きく左右されて見ている部分が大きいからなのかなあと。

なのでベストというわけではまったくありませんが、そんな中で4月16日に見た浜松窓枠でのエレファントカシマシと、5月21日に見た金沢本多の森ホールでの吉井和哉さんのライブは、2011年という年を振り返ったときに、必ず思い出すライブなんじゃないかなと思います。

エレカシの浜松窓枠でのライブは、私が震災後に初めて見た「ライブ」で、ほんとになんというか、今お前が足元ぐらつかせてどうする!というような状況に自分がいるにもかかわらず、でも正体の見えない不安、というものがまだいろんなところを覆っていた時期だったと思います。

エレカシは4月2日には予定通りツアーをスタートさせ、5日には水戸ライトハウスでライブを行い、東北3公演の振替の日程も早々に発表していました。彼らのフットワークはもちろん「バンド」だからこそというものでもあったし、良い悪いではなく、それがバンドとしてのある種の意思表示でもあったんじゃないかと思います。彼らは言葉では何も言いませんでした。おそらく、直接的にはもっとも何も語らなかったアーティストのひとりなのではないでしょうか。

小さいライブハウスを埋め尽くす観客と、それに対峙するエレファントカシマシ。へんないい方ですが、あのライブの時ほど、このバンドに背中を押されていると思ったことはなかったし、最後の最後まで、言葉では何も言わず、ただ圧倒的な誠実さをもって音楽を届けていた宮本浩次というひとの佇まいには、陳腐な表現ですが震えるほど感動したことをはっきりと覚えています。何度でも立ち上がれと叫ぶように歌われた瞬間に涙がこぼれたことも。

去年は吉井さんの二つのツアーがあって、計10本も足を運ぶことが出来て、それ自体がそもそもほんとうに恵まれた、幸福なことだったなあと思います。参加したライブの中で、たとえば点数をつけるとすれば国際フォーラムだったり城ホールだったりがあがってくるのかもしれないですが、でも鮮明なのは金沢でのライブなんですよね。

観客の雰囲気がとてもよくて、開演前から待ちかねたぞ、という空気に満たされていたのもその要因かもしれませんが、私が吉井和哉という人のライブで見たいと思っているもの、もっと言えば、ツアーというものの中で見たいと思っているものがあの日のライブにはあった、そう思います。サプライズとか、レア曲とか、そういうことではなくて、ツアーだからこそ果たし得る深度のようなもの。すごくなっている、これからどんどんすごくなるにちがいない、という予感のようなもの。

その直前に個人的にいろいろとあって、遠方まで足を運ぶことを厭わない私が「ライブになんか行ってる場合なのか」という考えが頭を過ぎったりしていたという、きわめて私的な事情ももちろんあると思いますが、それを本当にちらっとでも思い出させなかった。あんなに集中しきってライブを見たのは久しぶりだったんじゃないかとさえ思うほどです。

吉井和哉に父性というものを求めたことなど一度たりともないつもりですが(笑うところ)、この時の吉井さんは本当に頼りがいのある男だったと思いますし、いろんなものを引き受けてここに立っているんだろうなという逞しさのようなものを感じたことを思い出します。

さて、一昨年昨年のこの振り返りエントリを読み返していたら、奇しくもベストMCが両年とも毛皮のマリーズ志磨遼平さんだったんですよね。で、今年も、彼です。最後のツアーには参加していませんし、フェスでほんの短い時間を共有しただけなのにね。でも、あの花火とあの言葉は忘れられない。マリーズというバンドは消えてしまっても。


雨が降っても、雷が鳴っても、バカかわいいおまえたちを、
いいかい、雨が降っても、雷が鳴っても、
地震が起きても。
目に見えない何かが降ってきても。
僕は死ぬまで、きみを離したりしないぜ。

17:12 | comments(2) | -

Are you believer?

去年の暮れ、大阪城ホールでのライブの翌日、私は同時期に大阪森ノ宮ピロティホールで上演されていた、第三舞台という劇団の解散公演「深呼吸する惑星」を観に行っていました。第三舞台に関するわたしの右往左往というか阿鼻叫喚というか、ともかくそういったテンパりぶりははてな自分のサイトのほうでああでもないこうでもないと書き殴っているので、ここであえてもう一度書くことはしません。

第三舞台という劇団にはいくつかの「恒例」がありますが、その中のひとつが折り込みチラシやアンケートと共に配られる見開きB4サイズいっぱいに書かれた、主宰の鴻上尚史さんによる「ごあいさつ」というテキストです。そもそもは劇場入りしてリハが終わって開演を待つという間、急に手持ちぶさたになった演出家がそのときの心情を書いたものがはじまりで、第三舞台の公演には必ずこの「ごあいさつ」がつきものなのです。

私は「深呼吸する惑星」を紀伊國屋劇場の初日で見たのですが、この「ごあいさつ」は初日には間に合わず(これも恒例)、やっとそのテキストを読むことができたのは、その大阪公演での開演前だったのです。

そこに書かれていたのは、亡くなった友人や知人との「対話」のことでした。

今から27年前、1981年に第三舞台を旗揚げし、文字通り飛ぶ鳥を落とす勢いだった鴻上尚史さんは、しかし1984年に旗揚げメンバーでもあり、劇団の中心人物であった役者を、突然の交通事故で喪うという悲劇に見舞われることになります。「モダンホラー」という戯曲のあとがきで書かれたその時の鴻上さんの言葉を、私は今でも忘れることができません。「衝立の向こうにちらりと見える足の裏が、頬ずりするほど愛おしい、見慣れたものであっても、私はまだいっさいを信じてはいませんでした」。

「ごあいさつ」の中で鴻上さんはこう書いています。数年に1回しか会わない人の死の知らせは、自分の中に不思議な感情を巻き起こす、そのひとのことをどれだけ思うかは実際に会った回数ではない、そのひとが僕自身に与えてくれた影響や情報や感情がそのひとの重さを決めるのだ、それはつまり直接には会っていなくても、心の中で頻繁に会っているのと同じだ、と。だから、あのひととリアルに会えなくなったとしても、心の中で何度も会話していたんだから、それはたとえばそのひとが、ただ長い旅に出ているようなものだと考えてもいいんじゃないか、と。

生きている人間同士の対話であっても、実はなにも話していないということがあるように、亡くなった友人との対話を続けることも、珍しいことではない。それは教祖や偉人の言葉のように強烈な信仰を伴うものではなく、生きている人間の力強く生臭い言葉でもなく、淡く、遠く、ささやかな言葉だ。やがては時間と共に消えていく言葉、会話しようと決意しないと現れない、かげろうのような言葉だ。

私がこのテキストを読んだのは、城ホールでのライブの翌日、つまり12月24日でした。ちょうど2年前のこの日に逝ってしまった、志村正彦というひとりのアーティストのことを、どうやっても思い出さずにはいられなかったのですが、けれど私がこのテキストに揺さぶられたのは、それだけが原因だったのではないとおもうのです。「ごあいさつ」はこう続きます。


「けれどそんな弱く、淡く、小さな言葉が、自分を支えているのだと自覚すること、そして、自分を支えるものの弱さや儚さに気付くことは、なかなか素敵なことなんじゃないかと思うのです。
国家や民族、大会社のような強大で強力なものに支えられる人生もあるでしょうが、弱く、小さくささいなもので自分を支える人生も悪くないと思うのです。
自分の支えるものの弱さを自覚し、そしてその弱さを認めながら人生の可能性を探る試みは、ひょっとしたら強大な支えを求める人生より楽しいんじゃないかとさえ思います。」

わたしを支えているものはなんなのか。この不条理で、つめたく、伸ばした手の先も見えないような世界の中で、わたしはどうしてここに立っていられるのか。その支えは、きっと、弱く、淡く、ささやかなもの、自分が信じていなければ消えてしまうようなもの、手垢がつくまで読み返した試験には出ない本、心の底から愛した劇団の風景、実際に会ったことは一度もないロックスターの音楽、めったに会うことのできない友人たちと交わした「本当の会話」。

その弱さを認めながら人生の可能性を探ること。
それは決してわるいことではないのだ。

この一年が、わたしにとっても、ここを訪れて下さっているすべての方にとっても、自分を支えているかすかなものの存在と、それに支えられる喜びを感じられる年でありますように。

00:58 | comments(8) | -
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