sakura-blossom
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幸せは時間差でやってくる

「ゲストとゲスト」。私の住んでいるところでは見られないんですけど、ひとさまのお情けといんたねっつの力により無事拝聴。とてもよい番組でした。ブラマヨ吉田さんがTHE YELLOW MONKEYのファンというのはたいへんに有名な話なのですが、そのよっさんの真摯さが、吉井さんの「相手の言葉の湖に水路をつなげる」(沢木耕太郎さんの言葉です)ことに成功した要因だったのではないでしょうか。

吉井さんから吉田さんへの質問が「吉田さんにとって成功ってなんですか」だったんだけど、それに対するよっさんの答えもすてきだった。

例えば今日なんかまさに思いましたけどね。
いや今からあの人と喋るんかって
おれ頑張ったなって
ひとつ成功したって言えるんかなって



そのあと吉田さんからも同じ問いが吉井さんに対してかけられるわけだけど、私はこの番組をリアルタイムでは観ていなくて、でも朝起きてから遡ったツイッターのTLで何人かの友人がやばい、泣いてしまう、とツイートしていたのを見てなんだろうなんだろうと少なからずどきどきしていたのだが、でもあれですね。これは、うん。


吉田
さっき吉井さんぼくに成功ってなんですかって聞いてくれはりましたけど
それ吉井さんにも聞いていいですか


吉井
ぼくやっぱりすごく大好きなライブがあって
THE YELLOW MONKEYのときに
当時のメジャーな曲一切なしで
インディーズ時代の曲も含めたアングラな曲だけで
武道館をやったことがあって
その時にお客さんもほんとうに喜んでくれてるなっていう祝福感もふくめて
成功したっておもったのは1本だけあります
あれはほんとうに死んでもいいって思いました


吉田
これだけ沢山のひとに腹の底からの吉井和哉を愛してもらってるみたいな


吉井 
そうです、そうです
むしろこれで十分です
もうこれ以上の成功要りませんって
だから大阪ドーム、東京ドームの
実質解散になってしまったときは
ドームだ…!みたいなのが一切なくて
ああもう、これで最後かもしれないなって思いながら立った東京ドームって
傍から見たら大成功じゃないですか、夢を掴んだ瞬間っていう
でもそうじゃなかったですね
物量でもないし、なんだろうひとの成功ってってすごく思っちゃいましたよね

でもあの当時ぼくらはすごく必死にとにかくプレッシャーと戦って
どういう影響を人々に与えているかをまったく考えていなかった
勿論目の前にいつもお客さんはいましたし
いつも熱狂的なファンはいたんですけど
そこまでひとりひとりの個人がどれぐらいの勇気を
この曲からもらってるかなんてことを考えたことが一切なくて
でもあるときたとえば吉田さんみたいに、レストランで働いているひととか
いろんなシュチュエーションで
大ファンだったんです
すごく救ってもらったんですっていうのがふえたときに
ああ自分はこれは夢が叶ったのかなって
だから今日はすごく嬉しかったです


吉田さんは解散についての話も聞いていて、不安とかなかったんですか、と吉井に対して聞いたんだけど、それに対する答えもなんというか、物語とかに絡めず、まっすぐ話している感じがあった。だからすとんと胸におちてきたんだろうなあ。

吉田
THE YELLOW MONKEYを解散するときに不安とかなかったですか

吉井
不安よりももう疲れたっていうのがまず先にきちゃってましたね
ほんとに自分が弱かったし
思い上がっていたような気もしますし
なんかひとりでやってみたいと思っちゃったんですよね


この発言で思い出したのが、この前週のトータスとネプチューン名倉さんの「ゲストとゲスト」での発言。
ちょっと長いけど、引用します。


名倉
グループで活動する難しさと、ソロで活動する難しさの違いってあります?


トータス
グループはねえ、ぼくはもう21年やったからねえ
いまだにグループやと勘違いしているところがどっかにあって
ソロになって3年経つけどまだうまく切り替わらないのが自分の課題でもあるね
要するに難しいってことなんやろね、ソロで活動していくことが


名倉
グループでやるっていうのはトータスさんにとってどういう感じなんですか

トータス
それはだから自分に置き換えたらようわかると思うんやけど
同じような価値観を共有しているわけやん
で、なんでそういう人と出会ったかっていうのも謎なんよね
別に応募してこまかく価値観をいちいち照らし合わせて4人集まったわけじゃなくて
たまたま4人集まった段階でどっかしら価値観のすりあわせがある程度できてて
だから奇跡みたいなもんやとおもうんやけど
それプラス一緒に生活していく中でさらにすりあわされていくっていうか
ものすごい密度の濃い4人でおったんよね
だからこそしんどいというのはある
そこから出られへんというか
その4人の価値観以外のことを知らないし、知り得ないというか

だから、逆に言えば自由度が全然ないから面白かったんよね、バンドって
だって例えばギタリストはそういう風にしか弾かれへんひとで
ドラマーはこういう風にしか叩かれへん
ベーシストはそういう能力しかもってない
っていう、その制限のある中でものを作るから
制限の中でつくる面白さがあってんけど
20年もやってると、制限をとっぱらったときに俺は何かが見えたりするんちゃうか
そういう欲が出てきてしまう
この制限さえなければ、みたいなね
そこに逆らわれへんかってん



…なんというか、ほんとうに、げにバンドとは、と一ファンであった私は思うのみであります。
しかし結局、そういう匂いのするバンドをやっぱり私は好きなんだよなということも、さすがにこの年になってくるとわかってきつつあるというか。
まったくもって、げにファンとは、ですな。

最後に、吉田さんが番組の冒頭で仰った言葉を。
こういう気持ちを忘れないでいたいものです!

どんなひとでも結局はいいんですけどね
吉井さんから曲を頂いて、それ聞いて救われているから
吉井さんがどんなひとでもいいんかなって
この番組の企画を頂いたときに思ったんです

23:24 | comments(8) | -

Let's Get ナウロマンティック!

THE YELLOW MONKEY
日本コロムビア
¥ 1,050
(2012-10-10)

発表されるやいなや我々を恐怖のいえ笑いのずんどこにたたき落とした例のアレがコレです。

なんじゃああこりゃああ!(優作で)

そしてもうどうやってもKOJI 1200しか出てこない身体で申し訳ない(土下座)。発表された時も思ったけどシングル1曲でボーナストラックが12曲、あれだ、「8」のときだっけか、Tシャツ100枚を10人にプレゼント!を思わせる逆転現象ぶり。きらいじゃないぜ、むしろ好きだぜ。

しかし何回見ても笑えるタイトルだ…ROMANTIST TASTE 2012…この伝でいくと、ついったーのハッシュタグで「#最後に2012とつけると猛烈に昭和になる」とか流行ってないのが不思議なくらいです。

って冗談はさておき、TRUE MIND"NAKED"もそうだけど、ここんところの一連の動きで私が何を一番思うかっていうと解散後の時間によってぱんぱんにふくらんだ「THE YELLOW MONKEY」ってものへの幻想をひとつひとつパンっ!と風船割っていくみたいな感じだなーなんつって。それで私個人としてはそれをイヤだと思ってないところがあるっていう感じです。これってなんなんだろうにぇ。思い出は、美しいままで!みたいなこと、思わないではないけど、あまりにもいろんなものでふくらみすぎてるなーとも思っていたわけで、まあ、おまいが積極的にふくらましとったんちゃうんかい!と言われるとぐうの音も出ない。ぐう。

このあいだウチの姉にまで(THE YELLOW MONKEYのファンではぜんぜん、ない)(まったく、ない)12月28日の話をされてしまったが、私はもうこのことについてはどう答えるか決まっておるのです。つまり私はそのことをじっくり考えることを最早放棄しているのです。無。いや無ではない、半透明。半透明の心で「何も考えないようにしている」のです。南〜無〜。

21:17 | comments(0) | -

積もうね 積もうね

9.11ということで、吉井ちゃんがモバイルでTALIの話をしている。

吉井ちゃんも文中で触れているけれど、TALIはCCCDでのリリースだった。べつに吉井ちゃんがCCCDに積極的だったとかではなくても、あのときEMIからリリースされたCDはほぼCCCDだった。次のシングルのSWEET CANDY RAINはすでにCCCDではなかったので、吉井ちゃんなりのそれは抵抗があったのかななんて思ったことを思い出す。そのCCCDも、いまや時代の遺物となっているんだから時の流れってやつは不思議だ。

TALIで思い出すのはその初回限定盤が赤いカラーのパッケージだったことと、もうひとつはat the BLACK HOLEのこれも初回限定盤についていたDVDの中で、吉井ちゃんが「TALIがかっこよくなったよ〜」と言いながらはしゃぎ回っているシーンのことだ。ばっかじゃないの、と私はつぶやきながらその実めちゃくちゃニヤけた顔でそれを見ていた。そしてそれを見ているうちに、おんおん泣いてしまったことを思い出す。

なんで泣いてしまったのかはもう覚えてない。かわいいと思ったのか、セツナイと思ったのか、ここまできてしまったと思ったのか、うれしかったのか、かなしかったのか。覚えていないけれど、机に突っ伏してしばらく顔をあげることが出来なかったことは今でも鮮明に覚えているのだ。積もうね積もうねベイビーアイラーブ。いろんなものを積んでいくっていうのはこういうことなのかなーなんて今になれば思う。

今年の夏のサマーソニックで吉井ちゃんが幕張・大阪ともに天気雨と見事な虹をつれてきて、これがホントのレインボウマン!虹を自在に操れる!とか言ってみたりもしたわけだけど、吉井ちゃんがモバイルで書いた「あの悲しい夏から」の文字に15年前の夏を思い出してしまうのも、やっぱり「積もうね」の結果なんだろうなあ。

サマソニ当日は、天気予報サイトの雨雲レーダーで穴があくほど千葉方面を凝視してみたり、現地に行っているひとのツイートにどきどきしたり、家を出てからもずっとツイッターで「吉井」を検索しまくっていたりして映画を見る前に充電が切れたりしてなにやってんだか、だったわたしでした。あんなに自分が足を運んでいないフェスの動向を追いまくったのは久しぶりだった。そんなに気になるならいけばいいのにーって話ですが、いやそれはいろいろあるんです、大人だから。でも前日にツイートしたように、私が「行けばよかった…!」って身悶えするようなアクトになりますようにって心から祈っていたし、それがほんとうになったことが何よりもうれしかった。

雨の心配をするのも、それで客のテンションが、ってこともだけど何より吉井自身がそれを気にするんじゃないかとか思ってしまうし(だって心が晴れてると天気も晴れるね、とか言う人なんだもん)、15年前のことなんて、そんなに気にしてるのファンだけなのかもなーとか思ってたら吉井もラジオでそのことに触れてたりミッチさんも「フジの悪夢」とか書いてるし、なんなんだろう。あの15年前の夏って、なんだったんでしょうね。

持てる武器を全部使って、泥くさく戦ってきてほしい、とサマソニが決まったときのエントリで書いたけれど、JAMか、ラブショーか、すくなくともそのどっちかはやってほしいと心中ひそかに思っていて、それを吉井ちゃんがきっちりやってくれたと知ったときのあの感情。そして「虹が出たよ」というたくさんの観客のツイート。

江戸の仇を長崎で、じゃないけれど、15年前に見たかった風景って、これだったのかななんて、思ったりしました。

いや、でも、15年前があるからこその感慨でもあるんだろうな。たくさんのツイートのなかで、吉井さんは今までいっぱい降られてきたから、虹を出すことができるんだねって書かれていたものがあって、チクショーうまいこと言うじゃねえかよ、でもそうだ、雨だったり汗だったり涙だったり、いっぱい流してきたからこその虹なんだよなあ、きっと。そう思うと、あの悲しかった夏の日までが、まるでよかったことのように思えるから、時の流れってやつはほんとうに不思議だ。

23:44 | comments(2) | -
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