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Kazuya Yoshii Beginning & The End@ZEPP NAMBAに行ってきたのよ

実は一週間前までこの日のチケットを持っていなかった。今回のツアー4カ所が発表になって、私にとっては何よりも武道館が最優先事項で、そのためにもっとも休みが取りにくい日程に休みを入れなければならず、あと行けるとすれば大阪か名古屋なのだが(乗り継ぎ次第ではかかる時間がほぼ変わらないという恐怖物語)どちらも平日、行けても開演時間に間に合うか間に合わないか、それでスタンディングかあ、行ってもほとんど見えないよなあ、実際間に合うかもわかんないしな…となんとなく見送った態勢のままだったのだ。それなのに、なぜ、先週いきなり「やっぱり行こう」と思ったのか自分でもよくわからない。

最初、吉井さんはとても緊張していた。していたように見えたし、声にもそれが現れているように思えた。実際、中盤で「やっとなんかホッとした」とも言っていた。その緊張がうつったからなのか、短く、黒めの髪で、ちょっと痩せてる風情がそれに拍車をかけたのか、ソロになってはじめてのツアーのことを思い出さないではいられなかった。

吉井さんの緊張がだんだんとほどけて、ぐんぐん羽をのばしていくような姿を目の当たりに出来て楽しかったし、その「調子に乗ってきた」感じがこんなにも客に伝わるというのもすごいですよね…とも思った。でも、緊張の余波もあったのかもしれないが、絶対王者君臨、というような佇まいというよりはなんとなくかわいらしいとでも評したくなるような空気があったと思う。私は普段はそういう甘えた感じを毛嫌いしているところがあるのだが(心の狭いファンで申し訳ない)、今日は終始そのかわいさにほだされっぱなしだったような気がする。

ほだされたのはやはりその、最初のツアーのことを思い出したのと無関係ではないんだろう。当たり前だけれど、吉井に限らず、人の前に立って何かする、ということは相当な勇気を要することで、あのスタンドマイクの前でただ二本の足で立っていることが精いっぱいだったあの頃からずっと、この人はそこを逃げずに引き受け続けているんだなあとおもうと、それが安いセンチメンタリズムだとわかっていてもその感傷に引っ張られてしまったところがあった。

今回は事前のアンケート企画があって、「あなたが選ぶ吉井和哉2015」(本人談)を中心に選ばれたセットリストになっていたんだけれど、これ、単純に上から選んだだけではないですよね、と思ったのですがどうなんでしょう。吉井は「逆順でやろうかと思ったけど、あんまりつまらないセットリストになるので」と言っていたが、順番が違うだけでなく、上位に入っても外れた曲もあったのではないだろうか?というのも、あれは絶対入ってるよねと思う曲がなく、何曲か「これが上位に?ホント?」という曲があったからだ。っていうか、私がアンケートで選んだ曲がまさかのまさかで今回のセットリストに入ったのだが、この曲がそんな人気あるとは…そんなこと言ったら怒られますか。いやでも、ねえ?とはいえ、イントロでうっそお!よしいちゃん!あいしてる!と心の中で叫んだわたしだ。うれしかったよ。よもややってくれるとは、だよ。

こういったリクエストを募る企画そのものに懐疑的なむきもあるだろうし、それよりも吉井の考えた「さいきょうのおれ」的なメニューを堪能したい、と私も思っていたけれど、でも実際今日のライブを観て、こうした不作為によってこそ見つかるものもあるんだなと思えた。こうした企画でなければこの曲がこの位置にはこないだろう、と思うものがあるからこそ、もう一回その曲と向き合うような体験ができた気がする。そしてそれはとりもなおさず、この日のライブでも、自分のサイトでも吉井が言っていた、僕はいい曲をつくってきたよ、という自信に裏打ちされているから出来ることでもあるんだなと思った。

あと、自分の手の内にない楽曲を選ばざるを得ないからこそ、アレンジも工夫も必要で、途中で佳史さんに「いっぱい練習したよなあ!」と言っていたけれど、そんな風に格闘したあとが伺えるのも、この企画ならではの楽しさだったと思います。まあ、だからこその緊張と、あり得ないほどの歌詞ぶっ飛ばし(さすがにやり直した!)だったのかもしれませんが。

そう、あとやはりジュリアンに来てもらえたということで考えられたアレンジも随所にあった。ジュリアン相変わらずソーラヴリーとしか言いようのないステキさだったし、本当なら4年前に来てもらって一緒にやるはずだった曲たちをできることがうれしい、という吉井の言葉はとてもよかった。

初日なのでMCの場所も決まってない、と言っていたけれど、確かにメンバー紹介が本編とアンコール2回あったりして、探り探りではあったのかもしれない。そういえば関西弁講座とかもうやんないのかなと思っていたら、終盤「吉井和哉は関西の方によく『シュッとしてはる』って言われる」との発言からの「シュッとしてはる」連呼はそうとうにかわいらしかったです。佳史さんの「ぷっとしてはる」淳吾の「モッとしてはる」までは通すとしても、鶴ちゃんに「つるっとしてはる」それ形容やない!名前や!とツッコミましたし、挙げ句バーニーさんに対して「…思いつかない!」諦めはやい!

視界的に吉井しか入ってこない、という場所で見ていたというのもあるけれど、2時間半あまりほぼ、吉井しか見ておらず、目や手や顔で煽ったり、よく動く手と指だったり、赤いサスペンションライトに囲まれて一瞬婀娜なおんなの顔を見せたり、シャツのボタンを外す仕草やネクタイをゆるめる仕草だったり、そのたびにカッコイイ、カッコイイ、カッッコイイイ!!!と血が沸き立つような自分がいて、ほんとにこの人のかっこよさ、飽きない、私、と改めて思ったりしました。

ライブの間中何度か、私は最初のツアーのことを思い出してました。その頃はまだ南港の川縁にあったZEPP OSAKAや、ツアーDVDに映し出されていたそのツアー初日の新潟PHASEでの姿のことを。あの時も、今日と同じような場所で見ていたんじゃなかったか。

あのツアー、私はZEPPOSAKAでライブを見ていて、今でもはっきり覚えているのだが、突然アンコールの前にいたたまれなくなって一旦外に出てしまったのだ。ライブが楽しめなかったわけではなく、本当に突然、いいや、出よう、と思ってそのまま出てしまった。アンコールの1曲目を閉じられた扉の前でぼんやり聴き、ふと我にかえって最後の曲は会場のいちばんうしろで聞いた。あの時私は吉井和哉というアーティストとの距離の取り方がわからなくなっていたんだと思う。バンドを離れたことで、もういい、と切り捨てられるわけでもなく、かといって自分の中のバンドの残像を否定できるわけでもなかった。

そういったすべてを今日、面白いように思い出した。名前というのは侮れないもので、Beginning & The Endなんてツアタイをつければ、やっぱりそういうライブになるのだ。

長くひとつのことを好きでいるのは簡単なことではない、それは本当にその通りだとおもう。そのむずかしさの要因のひとつは、好きになったり嫌いになったりするパワーそのものが喪われるということにあるんじゃないだろうか。あのとき、アンコールの前に会場から飛びだしてしまった私は、ある意味苦しんではいたが、そのパワーだけは無尽蔵にあった。吉井さんのことを、大好きにも、大嫌いにもなれた。その時の自分を、懐かしく、どこか羨ましく思えたのは、今日が初めてだ。おわり、はじまり、おわり、はじまり。吉井さんにとってはどんなおわりで、またはじまりだったのでしょうか。私はまさかこんなにもノスタルジーとセンチメンタルに振り回されることになろうとは、思ってもみませんでした。
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