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エレカシのワンマンに来たのいつ以来なんだろうなあ…と自分で自分のブログを検索してみたら(べんり!)4年前だった。場所は同じZEPPNAMBA。そのあと、宮本の耳のことがあって、日比谷の野音を外で聴いて、それ以来。今年久しぶりに一緒に仕事をすることになった先輩が数年前からエレカシにずっぱまっているというのを聞きつけて一度ご飯を食べたんだけど、その時にツアーに誘って頂いたのだ。
別になんというきっかけがあったわけではなく、なんとなくここ2〜3年音楽予算を削減して手足を短くして生きていたんだけど、4年ぶりのエレファントカシマシのライヴはやっぱり揺さぶられるものがあって、ものすごくあって、レポと言えるようなものでなくても自分が感じたことを残しておきたくなったりして。
しかし、えーと、宮本もメンバーももう50歳、そしてバンドはデビュー30周年。なにがすごいって、それだけの期間、この衝動を持ち続けていることがすごい。手癖でライヴをやるってことがこのバンドは一生ないんじゃないか。観ている間、そのエレカシの、ひいては宮本の、人間としての純度の高さに打たれまくった。ピュアネスというのとはまた違う、大人だから、純粋なだけではいられないし、勿論一敗地に塗れた人間の姿もこのバンドはいやというほど知っているのだけど、それも含めた純度の高さ。そういう人間に、あれだけ全身全霊で、立ち上がれ、と鼓舞されたら、どれだけ萎れていてももう一度腹の底に力を入れて立ち上がらざるを得ない、という気持ちになる。
4年ぶりだったからというのも大いにあると思うんだけど、久しぶりにやる楽曲よりも、エレカシのワンマンに行けば、まあまず間違いなく聴けるだろう、というようなド定番な曲の数々にこそぐっとくるものがあった。今回はキーボードのサポートがないというのもあって、「風に吹かれて」はあのエレカシ独特の、男くささのあるアレンジで聴けて、途端に私の脳裏につか芝居のワンシーンが音がしそうなほど鮮明に立ち上がってきて、いろんなセンチメンタルに押されて思わず涙がこぼれそうになった。アンコールで笑顔の未来へをやって、あーこれまだ定番で演奏するんだなーなんて、そんなことを最初は思っていたのに、聴いているうちにぐんぐん感極まってきて、これはいったいなんなんだろうと思ったりした。
ガストロンジャーやコールアンドレスポンスでの宮本の煽りのかっこよさ、どれだけ軌道をはずれてもぴたっとそれについてくるバンドとヒラマさんのサポート力、そして、そして、やっぱりファイティングマンの、言葉にできない良さ。自信をすべてうしなっても誰かがおまえを待ってる…あかん、書いてるだけで泣けてくる。俺を、俺を、力づけろよって歌詞に、これ以上ないほど力づけられる。
宮本はほとんどMCをせず、唯一、この間野音で、2日間やって、もう喉が熱持っちゃったみたいになるし、打ち上げだしって結構飲んだんですよ、って話し出したんだけど、やおら「これほんとにどうでもいい話なんですよ、なんでこんな話しようと思ったんだろう」って自問自答の世界に入ってたのがおかしかった。結局、飲みすぎて声が出なくなったらしいんだけど(えーっと悲鳴をあげる会場に、いや、出ないつっても出るんですけどねとかぶせる宮本)、2週間ほど断酒したらすっかり出るようになったよ!よかった!って話でした。いやほんと良かったヨ!お身体大事にネ!あとこれを後ろで聞いているときのトミがすごい微笑ましく宮本を見守っていてなんつーか…ええもん見させてもらいました…
そういえば!石くんが完全に赤毛のアンだったんだけど、あれは、すごいね!比喩ではなく、本当に赤毛のおさげ。暫く目が離せなかったヨ…
本編黒シャツ、アンコール(第二部)以降白シャツだったなー。やっぱり白いシャツの宮本、好き。四月の風をアンコールでやってくれたんだけど、大阪だからだったりするのかしら。イントロのカウント、ワン、ツー…と言いながらその間に「いい曲なんで聞いてください」ってぶっ込んできてたなー。
で、そこで終わりかな?と思ったら(初日のセトリ見ていたので)、間髪入れず「花男」!!飛び上がって喜んだ。いつ何時聴いても花男はいいもんだ。宮本もブチあがっていて、シャツの前のボタン全部はだけさせて煽りまくってたのに、途中でふと我にかえったのか恥ずかしくなったのかシャツの前をかき合わせながら歌うっていう可愛らしいところもありつつ、でもまた興奮して結局ドーンとはだけさせるっていう。先生の可愛らしいところいただきましたありがとうございますありがとうございます。
スタンディングで充実の2時間半のライヴだけど、エレカシファンはどちゃくそ長い新春ライヴや野音に慣れているからか、先輩が「まだちょっと物足りない」とか言ってて贅沢!贅沢ゥ!と思いました。しかし、何度でも言うけどほんとにすさまじいパワー。MCも殆どなくて、本当に淡々と曲を積み重ねていくという感じだけど、そこから立ち上ってくる熱と圧が桁違いすぎる。これを50代にやられてしまったら、若手のバンドはなにすりゃいいのさという感じになるのではないか、そんな余計な心配さえしてしまいそうになる。
男なら立ち上がれ、女だって立ち上がれ、と宮本が鼓舞していたように、ようしようし!とぐっと拳に力をこめて明日に向かう喝を入れてもらえたライヴでした。
あっという間にもう10月のいっぴ。札幌の感想を書き終わって、それぞれのレポからこぼれちゃったようなツアーのことを残しておきたいなと思っていたはずなのにこの体たらく。やっぱり、日々ツイッターなどでアウトプットしていると、どっかそれで気が済んでしまうようなところがあるのかもしれない。あと若干の燃え尽き症候群というか!いやなかなかにハードデイズナイトな日々だったもんね。終わってさびしいけど、いい終わりを迎えられたという安堵感もある。
私のSUPER JAPAN TOURは代々木2daysで幕を開け、長野1日目、広島2days、城ホール2days、さいたま2days、福岡2days、神戸2days、横アリ2days、札幌2daysの計17本でした。フェスはRIJFとサマソニ大阪に参加。本当は、名古屋もどっちか1日行きたいと思っていたのだけれど、仕事の都合でどうしても叶わず。フェスも入れれば4ヶ月間で19本。とりあえず、行けるところは全部行った、と思う。
1月8日にこのツアーが発表になったときから、その時点で発表になっていなかった横浜とフェスは除いて、最初からこの本数の参加を決めていたし、チケットはあとからついてくるとばかりにかなり早い段階でほぼすべてのホテルを押さえ、札幌行きの飛行機を押さえてました。マジで予算案を組み、マジで銀行口座を別に分け、40を過ぎた大人の本気と書いてポンゲの怖さを自分で思い知るという。
その時点では「このあと」があるかどうかわからないというのもあったけれど、何よりも私をポンゲにさせたのは、もう、飢えたくないという気持ちが少なからずあったからじゃないかと思う。あのバンドに関しては、解散する前も、したあとも、常にどこか私は飢えていたようなところがあった気がするし、それはそのまま私の必死さへ直結していた。それが15年もの間変わらなかったというのだから、おそろしい話だ。
年明けにSNSを中心に彼らの「思わせぶり」なあれこれが拡散されて、いよいよ、そうなんじゃないかという話題が広まる中には、当然ながら、みんながみんな諸手を挙げて大歓迎という雰囲気ではなかった。タイミングを嘆く者もいたし、裏事情とやらを読みたがる者もいたし、単純に再結成を敬遠する者もいた。私が何を思っていたのか、とりあえず自分のホームページの日記には殴り書いたけど、でも一番強い感情として今でも心に残ってるのは「これがきっと最後のチャンスだ」ってことだった。最後のチャンスも何も、お前が決めることじゃねーわ、って話だが、しかしそうとしか言いようがない。もうたぶん、次はない。「今じゃない、なんて言ってたら永遠に『今』なんて来ない」というのはそういう気持ちから出た言葉だった。
とはいえ、これだけの時間と金をぶっ込んで、出てきたものがクッソつまらないものだったら、どうする?10本以上のライヴのチケットを押さえて、夢と幻想を打ち砕かれるだけだったら、どうする?そういうことを全く考えなかったわけではなかった。初日を観たあと、そんなふうに思ったとしたらどうしよう、と考えたこともあった。もし、そうだったら、そうだったら、残りの十数本は、地獄だろうな。それでも、打ち砕かれて終わりになるのなら、それが私の執着には相応しいような気もした。
初日のことで、今でも覚えてるのは、私自身が猛烈に緊張していたことと、友人が猛烈に緊張していたことと、すべての曲がなつかしく、うれしいものだったことと、吉井が緊張していたことと、エマが最初からザ・エマだったことと、吉井が緊張していたことと、アニーが満面の笑みを見せていたことと、吉井が緊張していたことと、ヒーセの歌うベースの健在ぶりが泣けたことと、緊張していた吉井が、途中からべろべろと皮が剥けるように顔が変わっていったことだ。そして、本編(ASIANまで)が終わったあと、これはあと、アンコールでJAMをやって終わりかななどと考えていた自分のことだ。まさか、あそこから、あれだけやるとは!よもや、飢えに飢えて待ちに待った、愛するバンドの再結成初日のライヴで、え?まだやる?などと思おうとは誰が思ったであろうか。それほどに満漢全席だった。いらないと言われても来たからには口の中にねじ込むようにごちそうを食べさせる、そういうバンドだった、このバンドは。
札幌のあと、友人と、今だからこそ、代々木の初日をフル尺で見たい、何が見たいって見てないようで見てるが見たい、チェルシーでもいい、もう絶対つんのめるぐらい遅いはず!などと言ってキャッキャと笑っておりましたが、だって、初日と較べて吉井のMCも球根前のエマのソロもSUCKのアニーのソロもめっっちゃ尺取ってるのに、終演時間が変わらないって、そりゃ曲のペースが上がってるからに違いない(真顔)。
ひとつ意外だったことは、セットリストをそれほど入れ替えてこなかったこと。いや、横アリや福島のことを思えば、じゅうぶんに変わってると言えるかもしれないし、2日間全く同じセトリというのは(たぶん)なかったのだけど、過去のツアーでガンガン日替わりを出してきていたことを思うと、そこはやっぱり意外だった。それだけ、THE YELLOW MONKEYとしてTHE YELLOW MONKEYの曲を客前で演奏する、ということに全員がある程度のラインを引いていたのかもしれない。それだけ、彼らの中のバンドの存在が大きかったし、アリーナツアーで客を引っ張れるだけの楽曲として磨き直さないと板の上には乗せない、という意識があったのかもしれないと勝手に思う。
ツアーの最初の頃は、ステージの上の4人にはどこか、THE YELLOW MONKEYという衣装を着ているようなところがあった(ファンにもそういうところがあった、私も含め)。それが、自分たちが着ているものがTHE YELLOW MONKEYの衣装になるのだ、というような佇まいにいつしか変わっていっていたように思う。変な話だが、亡くなった勘三郎さんが言っていた言葉を思い出したりした。歌舞伎とは何か、歌舞伎役者がやれば、それが歌舞伎なのです。考えてみると凄い言葉だ。THE YELLOW MONKEYとは何か、彼らがステージに立てば、それがTHE YELLOW MONKEYなのです…
これだけの本数に参加すると、いや、たとえしなくても、こうしたツアーでは必ず、どこがよかった、あそこはどうだった、こっちはこれがでた、あっちはあれがでた…という話がつきまとうし、それはツアーの華でもあると思う。ことに、これだけSNS全盛の時代にあっては、ほぼ即時に当日のライヴのあれこれが瞬時に拡散され共有される(そして私もその片棒を大いに担いできた)。しかし、どの日がベストだったかというようなことは、結局のところ観た人の数だけ答えがあり、逆に言えば、観た人の中にだけしか答えがないものなんじゃないかと思う。観客は観客の文法でしか舞台を観ることができない、私の大好きな言葉ですが、実際のところ、その日の体調や周囲の観客や、そういったもので印象というのは簡単に塗り替えられてしまう。勿論私の中にも、今ツアーで忘れがたい1本というようなものは確かにあるが、それはやはり私の個人的な事情に左右されたものでしかないという気がする。
好きなものや好きなことがいつまでもあるとは限らない、だからそれがあるうちは、全力で好きにならなきゃいけない、それが喪われたときに後悔しなくてすむように…。それは確かに真実だし、私も実際にそう思い、そう言いもしてきた。いつまでもあるのが当たり前だなんて思っていちゃいけない、けれど、こうも思う。そういう飢餓感に煽られながら好きでいることが果たして良いことなんだろうか?自分が勝手に煽られるだけならともかく、それを他者や、ましてや演者側が煽る必要があるんだろうか?ひとにはそれぞれ、事情がある。観客には観客の数だけ事情があり、皆、その事情と付き合いながら好きなアーティストのライヴに足を運んでいる。どれだけ回数を重ねても、後悔する時はするし、そうでなくても、満たされる時はある。わたしの17本があなたの1本にかなわないことだってあるのだ。
代々木の2日目に吉井の口から飛び出した、「たぶん、いやたぶんじゃない、絶対、もうTHE YELLOW MONKEYは解散しない」という言葉。それはツアーの最終盤まで恒例となった。THE YELLOW MONKEYの吉井和哉、それがおれのフルネームでいいとも言った。でも、これはたぶん未来を約束したものじゃない。未来への意思を表明しているものなんだとおもう。絶対解散しない、という約束だったとしても、それを信じきるのは、今の私にはもう難しい。でもそういう気持ちでいてくれているのだということはわかる。その気持ちに嘘がないこともわかる。そういう気持ちで帰ってきてくれたこと、それを4人が共有していることもわかる。それをツアーを通じて何度も確認できたことは、本当に幸せだった。私の愛したバンドが、メンバーにもまた愛されていると実感できるツアーだったことは、本当に幸せだったと思う。
THE YELLOW MONKEYがいなかった15年もの間、結局のところ私の心の最前列を彼らが明け渡すことはなかったし、彼らのライヴを観ているときの、あの生きていることの肯定と興奮にまみれたような時間は、彼らのライヴを観ることでしか補えなかったと改めて思います。15年経っても、ノスタルジーよりも速く走る興奮を真っ先に届けてくれるバンドであったことが何よりも嬉しかったし、誇らしかったです。どうかこの先も、好きなようにやっちゃってください。私はもう飢えたくないという気持ちで走り始めたけれど、大事なことを忘れていた、このバンドは、観れば観るほど飢えさせる、もっと、もっとと思わせるバンドなのだった。願わくばずっと、思い出の箱の中にしまわれずに、このバンドに振り回される人生を過ごしたい。これからも好きでいさせ続けてほしい。楽しいツアーでした。帰ってきてくれて、ありがとう。