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30周年が来たりて笛を吹く #14「TVのシンガー」1997.07.26 富士天神山スキー場

解散前(後?)の東京ドームのアレが出ちゃっていやーさすがに打ち止めっしょ!と思っていたらこ…この手があったかー!いやーこりゃ一本取られましたな!っていうアレ(ドレ)。1997.07.26、第1回(第1回だったんですよぉ)フジロックフェスティバルから、TVのシンガー。クレジットにも出ているように、当時WOWOWで一部が放送されました。RED TAPE NAKEDの初回限定盤のボーナスディスクにも収録されてますね。そして第1回フジロックは2日間予定されていたところ、2日目の7月27日は台風の影響をもろに受けた初日の惨状を経て中止となっています。

 

フジロックについては吉井さんが自伝で触れていたり(あのときの挫折感で解散云々)、良くも悪くも伝説化した部分が多分にあります。私も過去にかなり長文のエントリを書いていますので、この話についてはもうすでに箱にしまって棚の上にあげたなあ…という感じですが興味のある方はぜひそちらで。

 

動画を見ても、4人ともギラッギラにかっこよくて、そりゃ名盤SICKSを完成させて、それを引っ提げての初のアリーナツアーを成功させて、このあとにはスタジアムクラスのライヴが待ってるっていう、文字通り「飛ぶ鳥を落とす勢い」の絶頂のころの彼らですもんね、そりゃかっこよくないなんてことがあろうはずもない(二重否定)。しかし、実際このライヴは彼らの(というか、吉井さんの)大きな転換点のひとつであったこと、実際にその現場にいたひとにも、そのあとの、今でいうなら「炎上」の余波をくらった外野にも、文字通りの爪痕を残したことは間違いない。

 

もし台風じゃなかったら、もしレッチリの前じゃなかったら、もし違うセットリストだったら、もし、もし…とあの頃考えなかったといったら嘘になるけれど、しかし今はなんというか、それがこのバンドに与えられた運命だったんだなあと思うし、経験しなくてもいい学びだったかもしれないけれど、私はこのフジロックの余波で多くのことを学んだことは確かだ。あれから20年近く経った今、あの日のオーディエンスの多くにとって、おそらくこの第1回フジロックに参加したことは、一種の武勇伝のひとつですらあるのじゃないかとおもう。願わくば、THE YELLOW MONKEYと吉井和哉にとっても、「フジロックの思い出」が上書きされる日が来るといいのだけれど。

22:48 | comments(4) | -

THE YELLOW MONKEY 30th Anniversary DOME TOUR@ナゴヤドームに行ってきたのよ

甦るメカラウロコ 改め ドラゴンの逆鱗。

 

今日は特別にそう呼ぶって吉井ちゃんが言ってました。

 

ドームツアーが発表になって、ドームってことはチケット取れるかの心配をしなくていいのはありがたいけど、逆に集客が心配になるやんー!と誰目線なことも頭をよぎっておりましたが、いっぱいのお越し、本当によかった。そりゃ満員札止めではなかったかもしれないけど、直前に都合がついて行きたい!と思った人が行けるのってだいじ。座席はスタンドの、エマよりエマ側みたいな端っこだったので、モニタが若干見づらいきらいはありましたけど、視界はクリアだったしこの際無問題です。

 

いつもの武道館ならストリングスが入場時のSEをやってたり、第九だったり愛の賛歌がかかったりするけど、今回はそういう装置は一切なし。ほぼ17時ジャストにスパッと暗転して、1989/12/28からカウントアップで2019/12/28に。モニタに逆光の中ステージに向かうメンバーが映し出されて、パッと照明が点いたら吉井だけがセンターステージにいて、始まったのが「SECOND CRY」。よみがえるメカラウロコだから、jaguarの曲おおめにやってくれたりするかな〜と開演前に友達と話していたんだけど、まさかのSECOND CRYはじまり!吉井曰く「ジャガーになる曲」ですよね。で、SECOND CRYといえばそこからFINE FINE FINEに来るのがいつものパターンなんですが、ここでROCK STAR!そしてメインステージに駆け戻ってくる吉井。

 

エマのジャケットめっちゃおしゃれ!アニーは今回シック…いやよくみたらめっちゃキラキラしてんな?ヒーセはいつ何時でもおしゃれだから大丈夫!吉井…吉井は…えっ昨日とまた髪型違うくない!?!?となりました。しかし冷静に振り返ると吉井はシャツもパンツもジャケットもいいだけ派手でその派手に負けてないからすごいね(ハイ贔屓の引き倒し)。

 

SPARKのあと、軽くMCがあり、最高の夜にしたい、膨らんで飛んじゃってください!からのBalloon Balloon。文字通り新旧入り乱れたセットリストだなとここで実感しました。で、Balloon Balloonの曲終わりがいつもと違うカットアウトになっていて、そこからLet’Go.で間髪入れずエマがカットイン!!ここ最高でしたね。いつ何時でも最高なA HENがさらに最高に感じられる流れの美しさ。吉井が針千本でちゃんとあの仕草をやってたのもよかった。続いて追憶のマーメイド。んも〜〜〜すっかりド定番曲と化したじゃん〜〜〜このこの〜〜〜と思いつつ、そういえば福岡ドームのメカラのときひっさびさの披露(ひさびさなんてもんじゃないわね)で、吉井ちゃんがむちゃ教科書通りにやってたな…ってことを懐かしく思い出しました。今やもう、めっちゃこなれてるもんね、すでに。この曲を好きだと言い続けたファンに幸あれですよ。

 

次の曲はエマだけピンスポでギターソロから始まって、あれ、知らない曲?と最初は思ったんだけど、途中であっ「球根」の前のあれか、と気がつきました。2016年のツアーぶりだね。モニタに出てた映像が、あれ音とシンクロしてるのかな、朱い火花のような意匠が散っていて、なんか思わず目がいっちゃうって感じでよかった。ここで吉井の声の調子もぐっと突き抜けた感があって、曲の持ってるポテンシャルの高さを実感したり。

 

ここでメンバーはセンターステージに移動。ちゃんとせり上がりになってたね!吉井が「いい席のひとたちごめんね〜、またあとで帰ってくるからね〜」つってたけど、その後ろのほうでセンステ取り囲んでるのもいい席のひとたちだからな!?と心の中でツッコミました。1989年12月28日がこのラインナップになって初めてのライヴ…とずっと言ってきたけど、実はエマはまだその時仮のメンバーで(参加したものの『ロビンやっぱ俺やめるわ』と電話してきたという有名なエピソードですね)、このバンドの最初のツアーで名古屋に来た時、当時ヒーセがマネージャー業兼務というか、ホテルの予約とかもしてくれてたんだけど、その時ホテルが取れてなくて、あわてておさえたのが12畳ぐらいの和室の旅館。楽しくなっちゃってヒーセとふとん並べて寝てたりした吉井ちゃんですが、そのときエマに「そういえばメンバーになってないよね」って話をした記憶があるそうです。エマ「あるね〜」吉井「それでなんて答えたんだっけ?」エマ「(メンバーに)なってなかったんだっけ?って」ということで、THE YELLOW MONKEYが正式にこのメンバーになったのは名古屋だったんですよ!ってそれが言いたかった吉井ちゃんなのでした。で、そのエマさんが最初にこのバンドに書いた曲を、でThis is For You。センステのミニマムな空気でやるThis is最高だったし、最後のさ、エマが吉井に寄り添っていくとこも、吉井がエマのほう見ないで、エマが吉井を見ていて、それで最後に目線を合わせる…っていうおれのもっとも好きなパターンのあれだった。吉井の最後の一節のタイミングをじっと見てるエマの目線ほんと大好き。

 

そこからバンドの歴史をなぞるMCになって(吉井がギターを10弦に持ち替えたので、キタ!と思った)、THE YELLOW MONKEYのはじまりの曲、でLOVERS ON BACKSTREET。今吉井さんのモバイルサイトのほうで今までの歴史をなぞる更新をしているとこなので、いつもよりも来し方に想いを馳せながら聴いてしまったな〜。そのあとメジャーデビュー、夜行性のかたつむり達とプラスチックのブギーっていう非常に覚えにくいタイトルのアルバムを出して、まあ、売れませんでした!と吉井。オリコン初登場526位?とか言ってたけどアニーが首を傾げてたのでまあ嘘だ。で、そのアルバムに収録されたご機嫌なブギーを…と言った段階で大歓喜のおれ。さらに「2曲続けて…」で大大大歓喜のおれ!!!だって、このシチュエーションで2曲続けて、ってもうあれしかなくない!?もちろん「Foxy Blue Love」からの「SLEEPLESS IMAGINATION」ですよ!!!FoxyからSLEEPLESSのシームレスな繋ぎ、そこで飛んでくるタンバリンこそ12月28日の、メカラの醍醐味、メカラ・シークエンスですよ!(と私が勝手に言ってるだけですよ!)私はね、もうほんとFoxyが三度の飯より好きなので…って言い出したら三度の飯より好きな曲が多すぎるんですけど…でもって今年の8月にラママでやったゲリラライヴの中継も、SLEEPLESSがかかった瞬間に「いいなあああああ!!!」と叫んでしまう女なので…。しかもセンステは小さいので、メンバーの絡みが多いのよ!つか、ヒーセがエマに寄っていいてエマの後ろからぐっとおおいかぶさって弾き倒してんの何!?ってなったし、コーラスをふたりがマイクシェアしてやってるのもよかった。アニーの後ろにも回れるのでメンバーみんながアニーと絡むのもよかった。あまりのよさにもうこの段階でありがとう、今日のライヴもうこれで8割満足だわ、と思ってしまったほど。このあとに起こることも知らずに…

 

そこから順にアルバムをなぞるのかと思いきや、そこから売れて、休止して、解散して、再結成まで一気に話が飛んだのだった。そして最新アルバムからI don't know。この曲では珍しく吉井の歌詞がもにゃったな、と思ったら続いてエマのギターもよれたのでんもー、仲良しか!?ってなりました(そういうことじゃない)。センステはこのあたりで終わりかな〜と思ったら、そこからBURNに!BURNって解散前でも再集結後でもなにかと派手というか、演出重視というか、特効ありきな場面で出てくることが多かったので、こういうミニマムなステージで見られるのめっちゃ良かった。吉井のあの間奏のダンスも妖艶ですばらしかった。

 

でもってアウトロから愛とはー!って始まったので、ラブショー!って気持ちと、いやセンステでめちゃたっぷりやるな!って気持ちが同時にきた私。確かに吉井がMCで「今日は長丁場」「8時間38分ぐらいやりたい気持ち」(8が入った、ダウトです)と言っていたな…と思い出し。うれしかったのは歌詞の「それじゃさよなら…いやまださよならじゃない!!!」って叫んだとこ!!ああいうの本当最高です。

 

センステ最後の曲のまえに、ここまでいろんなひとに支えられてきたこと、若くして亡くなったスタッフもいたこと、かつて自分たちのおもうロックバラードを世に出したいと言ったこと…「THE YELLOW MONKEYのロックンロールを聴いてください」といって、JAM。ドームのアリーナを取り囲む赤い照明がドームの天井を染めていて、スタンドから見るその光景は一種壮絶に美しかった。最後の吉井が、天井を仰いでクラップしているとき、ほのかに笑顔を見せていて、この場面でみせる美しいとしか言えないその表情にぐっと心をつかまれてしまった。

 

メンバーは花道をもどらずに舞台を降りて一旦ハケて、モニターにインディーズ時代の未公開音源をバックに国芳の猫やら鳥獣戯画やらのキャラクターやらが踊りながら「なごやどおむ」に吸い込まれていく映像が(凝ってる!)。そして結成からの全ライヴの記録が流れてて、初期の大宮フリークスとラママの多さだったり、113本の物量だったりを見守っているうちにあっという間に今日へ。ステージ袖にチンドン屋さんが待機してて、おお、DANDANだなと。しかしね、私はほとほと感心したんですよ。30周年を祝って作った楽曲で、これやらないわけないんだけど、DANDANにはホーンが必要じゃないですか。でもこの1曲のためだけに呼んでステージにセッティングするのか?って話になるじゃないですか。きわめて個人的な感情ですけど、それこそほかの楽曲ではできればホーンに参加してほしくない自分がいるわけです。だから、今回のように歌詞にも出てくるチンドン屋さんを趣向として見せて、そこにホーン隊もいれちゃうっていう。天才か!?と思いましたもん。ほんとむちゃくちゃよく考えられてる。

 

DANDAN終わりだったかな、花火、あがりましたよね?あれよかったな。わあ花火!と思っている間にアニーのドラムが鳴って「パンチドランカー」へ。これもすっかり普通にやってくれる曲になって嬉しい。何度聞いても私の執念に火を灯す曲ですよ。

 

で、ですよ。ごめんなさいここからちょっとね、記憶が。いやまじで、記憶が飛んでいる。終演後、あれやったの何の曲のあと?って友人にきかれて、勢いよくパンチドランカー!と答えた私なんだけど、ちがったわ。いや、パンチドランカーから天道虫にスパッとつながったのはね、覚えてるの。特効がバーン!となったのも覚えてるの。でもそこからがまじでわかんない。気がついたら隣の友達と抱き合ってたんですよ。抱き合ってたっていうか、しがみついてたんですよ。しがみつくあまり眼鏡が曇るっていうね。いやそれはどうでもいい。ずーっと、ずーーーーっと、ずーーーーーーーーーーーーっと聴きたい、ライヴで一度でいいから聴いてみたいって思っていて、ある時期を境にぱったりセットリストに入らないようになって、あの当時まだあったライヴ会場でのアンケートに「なんでやってくれないの」と泣きごとを書いたこともあった曲のイントロが実際聞こえると、もう視界とか聴覚とか記憶力とかそういうものがね、バグを起こします。

 

“I”。

 

ごめんねこれ長くなるわ。でも言わせて。このバンドを好きになって、ネットを介して友人ができて、その友人の家で昔のテレビ番組の録画とかを見せてもらって、そのなかにこの映像があって、その年越しライヴでやっていた“I”のあまりのかっこよさに、バンドのメンバーみんなすきだよ!なんてことを言っていた私が吉井にすっぱり足を払われ、これ、これを、ライヴで見たい!と思い続けてもう、20数年ですよ。そういう想いを共有してきた友人たちともね、もはや毎回の話のネタにすらなってた。”I”見るまで死ねない、そんな話をしてましたよ。

 

それでムキーーー!!!となるのがさ、こんなに久しぶりの楽曲なのによ、むちゃくちゃ昔取った杵柄だったじゃないですか。全員、もれなく、かっこいい。え?なに?このこなれ感?さすがやりこんできた曲は違うな!?って感じだったじゃないですか。見た!?あの吉井の!!ドヤ顔!!!なんで今日までやってくんなかったんだよおおおお!!!いやうそです。やってくれてありがとう。本当にありがとう。ほんとに私の骨をナゴヤドームに埋めてください。吉井さんも一緒の墓に入ろうつったことだしね!

 

終演後に字幕の話されて、え?字幕?ってなったんですけど、FUCK ME!の字幕が出てたんですってね。見てない。見えてない。こわい。これが最後かもしれないと思って喉も裂けよとばかりに叫ぶことに必死でもう、なんも見えてなかったっす。いやしかし、本当によくぞ…よくぞやってくれた!(話が戻ってますよおばあちゃん!)今回は特に、長年”I”への怨念をわかちあってきた友人たちみんなが同時体験できたのがことのほか嬉しかったです。

 

そのあとスネア2発でSUCKになるんですけど、いやもうSUCKがこんなに入ってこないってあるかって感じでした。なにしろバグっちゃってるんで。でもセンステでヒーセとエマがコーラスしてたんで、今日はシンプルな方か…と思ってたら絡みのタイミングでエマが小走りで駆け戻って吉井がそのエマを手繰り寄せるジェスチャーしてたのが面白かったです。えま、やさしい子。これが30周年の絡みです!つってちゅっちゅしてましたね。最後も、間髪入れずにTHE YELLOW MONKEY IS MY LIFE!と叫んで〆、っていう美しいパターンでした。

 

HorizonのあとFATHERで、イントロの吉井のおとうさーーんはほんとぐっときたな。吉井がセンステに移動して、あのぐるぐるとまわって、ステージにうずくまって、耳をあてたまま、でステージの床に耳をあてるの、ほんとにちょっとの仕草がドラマになるひとだよなと改めて思いました。

 

本編ラストの曲の前に、長めのMCがあって、THE YELLOW MONKEYというバンド名をつけたときのことをすごく丁寧に語ってくれてました。でもさ、確かにこの単語は黄色人種に対する蔑称であるわけなんだけど、でもいま「イエローモンキー」って単語でネットの海を検索したら、少なくとも日本ではこのバンドのことが出てくる。このバンドのことが好きか嫌いかはおいといて、この単語をきいたときに「あ、イエモンでしょ?」とバンドのことを思い浮かべる。ひとつの単語のイメージを変えられるほどの何かを残すって、ほんとうにすごいことだよ。

 

わかりやすい応援歌もラヴソングもないけど、でもロックっていうのは、現実と、目に見えないものの架け橋、それを歌うのがロックンロールだと思っている、と吉井和哉は言った。

 

本編最後の曲は「シルクスカーフに帽子のマダム」。再集結後初めてやる、おれだけもりあがってもしょうがないから…!と吉井はわらって、ここで描かれたシチュエーションを話してくれていた。自分の中にそういう女性がいて…という話も、わりと折に触れ出てくる話ではあるものの、かなり言葉を尽くしていたのが印象的だった。ライヴの最初の曲がSECOND CRYで「ジャガーになる曲」だったが、皆さんご存知の通り音源のSECOND CRYには途中でこのシルクの「ジャガーはライフルで…」という歌い出しが重なる部分がある。マリーからジャガーへの架け橋、という意味でもそうだし、もうひとつ、このシルクは母親をうたったものでもあるから、FATHERからの流れもそういう意図がこめられていたのかもしれない。

 

そしてその重層的な構造に負けない、吉井和哉の圧巻のパフォーマンス。本当にすばらしかった。シルクスカーフに帽子のマダム自体は、ソロでも披露されたことがあるのだけど、やはり、文字通り「ゾーン」に入る吉井の姿は、バンドでしか見られないものなんだなとも思った。大袈裟でなく一冊の小説、一本の映画を見終わった後のような充足感があったし、このたった1曲でここまでシアトリカルな空気を創り出してしまうって、ほんとうにすさまじいなと思い知らされました。

 

アンコール明け、吉井がギターをもったので、来るな、と。年末だもんね!「やっぱりこれをやらないと、年は越せないよね〜〜〜」ですよね〜〜〜〜〜!!!!もう、この煽り込みでのアバンギャルドですよ!時間がないので!!メンバー一緒に歌います!!つっておそそが始まったのは笑いました。時短おそそ!モニタで吉井のうしろに映るアニーがむちゃ心許ない顔してたのに対して、自信が服着て歩いてるみたいなエマの顔の対比面白かったです。名古屋ブギウギで歌ってくれて、最後の煽り、吉井「30周年ブギウギ!」\フゥ〜!/「40周年もよろしく〜〜〜!!!」きゃーーーー美しくキマッたーーー!!!

 

そんで私、もうアバンギャルド終わりでASIANにつなげておわりかな、もう20時回りそうだし、と心の中でちらっと考えてたんですけど、甘いぜ!と言わんばかりにいつものお約束のイントロすっぱりカットして「ビューティフォー!」からバラ色へつなぎ、じゃあ次はASIANか…とおもったらまだALRIGHTぶっ込むという、そうだった…このひとたち、ご馳走を食べさすとなったら満腹以上に食べさすタイプの人らだった…と今までのあれこれに想いを馳せたりして。でもって、このALRIGHTがまたよかったんだ!だってアバンギャルド、バラ色っていう、ライヴのド定番中のド定番での流れでさ、ぜんぜん曲の強さが負けてない。ここでさ、あの花道にエマ、吉井、ヒーセが並んで、ステージにいるアニーと一直線につながったときのあの画、最高だったな。あれはサイド席から見てると美しい以外のなにものでもなかった。ひとつにあつめて、でスポットが4人を照らし出す光景、忘れられないです。

 

そして!やっぱり最後はASIANなのだった。そうだよね。30周年で、いつでもどこでもライヴを支え続けてきたこの曲をここではずすとか、ないよね!!!電飾、炎の特効、金銀の紙吹雪、ワイパーが揺れるドーム…いい光景だったな。なにより、メンバーがみんなみんな、本当にいい顔をしていた。すがすがしい、はれやかな…と言ったらいいのか、吉井が大きく手を広げて、日本晴れ!と叫んだのはどのタイミングだっただろう、でもこの日の天気だけじゃなくて、本当に心が日本晴れ、そういう心境だったんじゃないかとおもう。

 

最後に記念写真を撮ろう、っていって横山さんが呼びこまれ、横山コールになったの面白かったな。アニーがセンステまで出ていつものやろうとしたら、吉井が「ばんざーい」のアテレコして勝手に万歳三唱みたいなったのも笑いました。

 

メンバーが捌けて、客電つくかな、と思ったらモニタに「未来はみないで」の歌詞が。これがまた、すばらしかった。「未来は未来で 大きな口をあけて笑っているのかな それならいいけれど」。吉井にしか書けない歌詞だよ。本当に最後の最後までぎゅうぎゅうにサービスがつまりまくった一夜になりました。

 

ナゴヤドームは彼らにとっても初めての場所で、初めてのドームツアーの皮切りで、しかも30周年の記念日で…とメモリアルが重なる日だったけど、それを誰よりも感じてて、ぜったいにこの日に自分たちが築いてきたものすべてを見せきりたい、そういう意思を誰よりも持っていたのはメンバー自身だったんだろうなってことがよくわかるライヴ、すばらしい時間でした。わたしは「よく考えられてる」って言葉を最大限の褒め言葉として使うことが多いんですけど、本当によく考えられ、練り上げられたライヴだったと思います。曲の制作時期だけでいえばそれこそ30年近く離れているような楽曲を並列にならべ、THE YELLOW MONKEY伝家の宝刀ともいうべき見事な繋ぎでライブを構成し、なにを見せるか、なにを見せたいかということを極限まで磨いてきたんだなということに感動したし、これこそが私の観たいものだった!と思わせてくれました。

 

しかも、そのライヴをほとんどゲストや、ストリングスすら入れず、もっともミニマムな単位でこのドームで見せきったということがすごい。この日のナゴヤドームの雰囲気はまるでアリーナクラスのそれでした。ライヴハウスをホールに、ホールをアリーナにしてきた彼らが、30周年というこの時に、今までなし得なかったドームをアリーナにする、ということをやってのけたことが凄いし、私の「今まで見たことのないものを観たい」というわがままな欲求すら、ここで叶えてくれてしまうのかと、そりゃもう…好きにならずにいられないでしょう、と言いたい。

 

ドームツアーが終わったらしばらくお休みね、と宣言されていて、私はべつにそれも、いやいや、そりゃそういうのも必要でしょう、と思っていたし、ひとはTHE YELLOW MONKEYのみにて生くるにあらずだぜ、とか思っていたけど(ほかに好きなものだってたくさんあるしね)、でもこんなに好きにされてしまって、その不在の時間をすでに心もとなく思い始めている自分がいてこわいです。いかんいかん。

 

でも4人と、彼らを取り巻くスタッフは、このあと2月11日の京セラドームに向けて、また一からそこでみせたいもの、を磨き上げていくのだろうし、その凄まじいパワーと覚悟にはひれ伏すしかないし、とにかくこのドームツアー、心して迎え撃つしかない!という気持ちで今はいっぱいです。

 

12月28日に観たいもの、として完ぺきな一夜でした。私の長年の夢を昇華してくれた夜でもありました。いろいろな時代を経て、不在だった時間も経て、今こうしてこの時間を共有できていることがどんなに得難いことなのか、今だからわかることもたくさんある時間でした。ありがとうTHE YELLOW MONKEY!!30周年おめでとう!!!本当におめでとう!!!

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01:28 | comments(8) | -

30周年が来たりて笛を吹く #13「SLEEPLESS IMAGINATION」1990.12.28 La.mama

昨日の今日だったので楽しいやつがいい!と思ってたら飛び切り楽しいのがきましたヤッターー!!とはいえ、むちゃくちゃ引きの映像なのはなんで!?これ寄りで撮った映像あるよね?この赤いマラボーとピンクの手袋の映像けっこういろんなところで使われてるよね?なんならCLIPSの特典映像のSLEEPLESSのクリップにもがっつり使われてるよね??っていうか撮ってるカメラマンどセンで映り込んでるよね???と思いましたが、でもそれを上回る可愛さに不問に付しました。

 

いやだってもう吉井…吉井のかわいさ!!!「ちょうど今日で1年経ったんですよね!おれも歌って1年なんだ」グワアアア!!!!ぴっかぴかの!!!1年生!!!!(錯乱)

 

のちのち小道具屋の和(こどうぐやのかず、必殺仕事人ふうに読んでね)と名をとどろかせ、「タンバリンをあんなにエロく使える男はいない」と主に私の周りで言われていた吉井和哉も、このときの初々しさたるや…1:10あたりであいつタンバリンをマイクスタンドにぶつけてる気がしますよ。かわいい。なんでこんなにかわいいのかよ。孫ではない。

 

しかしSLEEPLESSの楽曲の完成度たるや。もう、ほぼ今の形がこの時すでに出来上がってますもんね。タンバリンも、タンバリンを離すタイミングも今と変わらない。歌も演奏もコーラスもつたないっちゃつたないんですけど、でもなんといってもピッカピカの1年生なんですからして。それなのにこんなカッコいい曲をばんばん生み出していたんだからすごいよなあ、としみじみしちゃいます。

 

明日、やってくれるのかな!やってくれるといいね!(今日は2019年12月27日!)

22:36 | comments(2) | -

30周年が来たりて笛を吹く #12「JAM」2004.12.26東京ドーム

2004年12月26日、東京ドームのJAM。この映像自体は当時主にワイドショーなどで流れており、なので映像が残っているのは意外ではないけれど、さすがにこれを出してくるとは予想外。ちょうど15年前だからなのかな。1日限定の映像だそうです。

 

7月7日に解散が決定し、8月にその知らせがきて、その後発表になったのがTHE EXHIBTION AND VIDEO FESTIVAL OF THE YELLOW MONKEY メカラ ウロコ・15の開催。東京ドームだけでやったわけではなく、全国の主要都市を巡回するエキシビションで、過去の衣装、グッズ、小道具、衣装ケースにミラーボールにあの電飾もステージに用意されていた。そのあと過去のフィルムの映像があるという構成で、そのラストが東京ドーム。私の記憶では、メンバーの登場は予告されていたけれど、演奏はない、と書かれていたのだったか、そこまではっきりと書いていたわけではなかったのか、どっちだっただろう。

 

フィルムの上映のあとにメンバーが出てきて、エマがギターに手をかけて、やっぱりやるのか、と思ったことと、アニーのハイハットで、私とこのバンドの縁は、JAMにはじまり、JAMに終わるんだな、と思ったことだけは覚えている。あとはひたすら涙を流しているだけだった。解散の一報からこの日までのあれこれを押し流すように、ひたすら涙が流れ続けた。

 

私はバンドの解散というのはひとつの独立した人格の概念上の死のようなものだと思っていて、だとするとこのメカラ15のJAMは、まさに看取り以外のなにものでもなかったとおもう。そう感じた人が多いからこそ、この日のJAMは「葬式のようだった」と言われるのだろう。

 

この映像で、終盤のリフレインを観客に託し、吉井が「ずっと歌っててください」とひとこと残してステージを去るが、このひとことはかなりの物議を醸した。まるで突き放されたように感じたファンが多かったんだろうと思うし、その気持ちもわかる。そのあと彼が自分のサイトのBBSに書いた言葉がなんとも切なかった。「伝え方が下手くそでごめんね」「これからもあなたが好きな歌をずっと歌い続けててください」。

 

15年経ってあらためて見て思うことは、このとき、私たちも傷ついていたけれど、ステージにいた4人もまた傷ついていたんだということだ。吉井はこのJAMについて、「奇跡が起きることを願っていたが最後までそれは起こらなかった」という話をしていたことがあるが、奇跡を起こすには彼らはあまりにも疲弊しすぎていたんだろうと今この映像を見ていると思う。

 

そしてもうひとつ、この先に、今現在のような明るい日々が、明日はテレビ出演があって、明後日はドームでライヴがあって、そのあとは…と指折り数えることができる、そんな日々が待っているとわかっていても、解散したからこそ今の日々があるんだと言われて、それもひとつの真実だろうと腑に落ちていても、でもそれでも、私にとってこの映像は、自分がそのとき深く思い入れ、気持ちのありったけをそそいだひとつの生命体が、ゆっくりと最後の呼吸をするのを見届けた時間に変わりないのだということも、15年後の今日、改めて思い知らされています。

21:56 | comments(2) | -

30周年が来たりて笛を吹く #11「メロメ」2001.01.04大阪ドーム

こりゃまたすごいのがきましたね。2000年1月4日、大阪ドームのメロメ。もちろん本邦初出し!本邦初出しどころか、再集結する前もしてからも、なんかもう休止前のドームライブって東京だけでしたっけ????みたいな発言が多方面であったのでてっきりこのライヴなかったことにされてるのかと思いました。映像あるんだ…!懐かしいですね、三が日明けの冬の大阪。寒かったね。

 

もちろん今回初めて見たわけなんですけど、私がこのyoutubeの映像見た後やったこと、それは「東京ドームのメロメと見比べる」でした。いやこれ、大阪ドームの吉井さん相当だだ漏れてるな!?これに比べれば東京ドームはまだ自己演出力が生きてる。メロメをマイクにしなだれかかって歌うってあーたなかなかですよ。この曲はセンターのステージで歌ったので、ストリングスと音合わせるのけっこう大変そうですよね。エマこんな色のスーツだったっけ、ヒーセの衣装こんなだったっけ、現場にいた癖に新鮮すぎる。

 

メロメの話をするたびに言ってるんですけど、このちょっと不思議なタイトル、リリースされたときにファンの間で出た「〇×ゲームの×〇×じゃないか」って説が私は大好きで大好きで、真相なんて知りませんけど勝手にそういうことにしています。イメージとしては子どもが地面とかいらない紙に走り書いたようなやつね。

 

メインステージに戻ってくる間(アニーが口ずさんでいるのが泣けるぜ)とそのあとのMCもおさめられてるんですけど、おじいちゃんおばあちゃんになっても会いに来いよ、って言われた時、自分がどう思ったのか、って、正直もう忘れちゃってるところもあるよね。そんなこと思っていないくせに、と腹を立てたのか、その言葉にすがりたい気持ちだったのか…。でも、忘れるのって悪くないし、忘れたから今こうしていられるっていうのもある。

 

とはいえ私は何でも書いて残しておくマンなので、その時のことも書いて残しているのだった。でもこれは実のところ皆さまにおすすめするんですけど、こうして書いて残しておくとね、その残った言葉だけが本当になるんですよ。

 

私はこの休止を自分の中でほとんど解散だと思っている。

今までの4人には、1月8日でいったんサヨナラだと私は思っている。

 

だから、もう一度4人が、心の底から一緒にやりたいと願っている4人が

私の目の前に現れたら、それは奇跡だと思うことにする。

 

で、奇跡が起こることを、願っている。

01:39 | comments(4) | -

30周年が来たりて笛を吹く #10「甘い経験」2018.12.28日本武道館

金曜日更新!なのに今日はもう月曜日!しょうがない!しょうがないの今回は!いなかったから!家に、いなかったから!スマホだと長い文章打てないから!(聞いてない)さて!気を取り直して、今回の更新は昨年暮れのメカラウロコ29FINALから「甘い経験」。今回は何と!3D 180℃ VRでの視聴が可能!youtube公式アプリを使ってお手元のスマホで見てみてね!ハコスコや市販のVRゴーグル持ってる人はより没入感を楽しめるよ!ヤッター!

 

ってわいハコスコ買ってない民ですけどね!

 

このときのメカラは生配信&アーカイヴ配信があったので、この甘い経験もその時に見てるんですけど、今回は180℃ VRの映像なので、ある意味自分がヒーセ側最前列にいる気分で映像を見ることが出来るのが新鮮ですよね。吉井さんあんなに小森のおばちゃまの真似してたんだっけ…とか、あのヒーセとエマのけんけんぱ、完全に吉井がふたりの邪魔しに行ってるっていうかエマが全然吉井とやる気ないしヒーセは吉井がいるのでうしろでやってるし邪魔すんなよー!(ヒーセとエマのけんけんぱガチ勢)。

 

しかし1年前のことなのに、この1年の記憶がなかなかに濃縮還元すぎて、甘い経験は今回ツアーのセトリに入ったこともあってそっちの方の記憶がよみがえってきたりして、こういうのも嬉し楽しですね。この日は北から見ていたので、このVR映像の後ろにそびえる2階北側のあのあたりにわしもいるんや!と思いながら、今日も自宅で勝手に吉井さんと「俺と同じ踊りを踊」る私なのでした。

23:51 | comments(0) | -

30周年が来たりて笛を吹く #9「パール」2000.08.13国営ひたち海浜公園

長くなったらごめんよ。

 

2000年、第1回ROCK IN JAPAN FESTIVALでのアクトから「パール」。映像自体は過去に放送されたことがあるので、見たことがある人も多いかもしれません。ご覧いただければおわかりの通り、豪雨の中でのパフォーマンス。このあと強風によってステージの一部が破損し、THE YELLOW MONKEYのあとに予定されていたAJICOと中村和義のアクトは中止となりました。この年のTHE YELLOW MONKEYはRIJFの前に石川POP HILLに出演、このあとはRISING SUN ROCK FESTIVALへの出演が決まっていましたが、エマの肺気胸によりRSRの出演はキャンセル。この夏フェスのしばらくあとに活動休止のアナウンスがあり、年明けの大阪ドームと東京ドームでのライヴをもってバンドは休止へ、そしてそのまま解散となったわけですから、このパールは解散前のTHE YELLOW MONKEYを第1期とすれば、その最終盤のパフォーマンスということになります。

 

THE YELLOW MONKEYとフェスというのを語り始めると、正直この30yearsの企画の枠に収まりきらないぐらい来し方行く末に想いを馳せてしまうし、馳せた分だけ書きなぐってしまいそうになりますが、ともかく、いまや誰もが夏フェスと聞いて思い浮かべる「ハッピー」なありさまは、このバンドにおいては無縁のもの「だった」わけです。吉井和哉はあの日、途中でこの荒天をさして「まるで今の自分の状態のようだ」というようなことを言った記憶があります。「ひどい仕打ちだぜ」とも。

 

けれど、それこそこのバンドが解散していなくなった後にも、私は何度もこの映像を見返していました。それはこの豪雨という状況の中、分解しそうになっているバンドに、いや豪雨だったからこそなのかもしれないけれど、起死回生の一発を思わせるようなきらめきを感じることができたからにほかなりません。今でもこの「パール」を聴くとき、あの雨の中、間奏で次々と高く掲げられていったオーディエンスの拳の波を私は思い出します。

 

2016年の再集結イヤーでこのひたちなかに帰ってきたTHE YELLOW MONKEYは、このときと同じくバラ色の日々からパールというセットリストを再現しましたが、バラ色前のMCで吉井和哉はこの2000年当時のことにふれ、あの時は凄い雨で、おれもジャージなんて着ちゃって。もうあんなことは、と言いかけて少しはにかみ、しないぜ、と語ったのでした。雨のないひたちなかに来られてうれしい、そうも言っていました。パールの歌詞の一部を変えて「雨は降ったのに花はなかなか」と歌っていました。

 

このバンドは、なかなかフェスというものにうまく愛されることができなかったかもしれないけれど、でも本当にありきたりな言葉だけど心の底から思う、この時があったから、あの雨の日があったから、今があって、今の美しい空をより愛することができるんだってこと。当時放送された番組の中の楽屋でのトークで「カツラが飛ばないように」「THE YELLOW MONKEYおでこを出すとへこむんで!」とおどけていた彼らの、この雨の中の必死としか言いようのないパフォーマンスは、今でもそのことを教えてくれるし、あの状況にあってもこのバンドが秘めていた、起死回生の一発とでもいうようなきらめきを感じさせてくれる、何物にも代えがたい1曲だと思います。

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