sakura-blossom
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それはまだ言わない

2日で4時間しか寝ていないうえに夜勤明けで芝居見てそのまま友人の送別会に出て酒も飲んでいる人間の言うことなので全般的に聞き流して頂きたいのだが、さっきJAPANカウントダウンで吉井ロビンソンのインタビューがあった。DVDで見たりネット配信のインタビューを聞いたりなんだりしているので錯覚しがちだけれども、「今」の吉井を地上波のテレビで見るのは実は信じられないぐらい久しぶりなのだった。痩せてるなあ。白いセーターにサングラスをかけていて目はよく見えなかった。

このサイトは基本的に「芝居絡みの雑談と、その感想」で成り立っているものだと思うので、こうもことあるごとに吉井だイエローモンキーだロビンソンだと持ち出すのは言ってみればまったくニーズに応えていないことなのだろうなと思いつつ、しかし吉井和哉という人はもしかするとどんな芝居の創り手よりも私の心に直に働きかけるひとで、今日みたいに久しぶりにテレビで声を聞いたり、新しいアルバムを聴いたりすると頭の中はいっぱいになってしまう。

昨日ほろ酔いでいー気分のまま買ってきた吉井の新しいアルバム「WHITE ROOM」をitunesに放り込み、ネットをしながらぼんやり聞いていた。新しいアルバムを歌詞カードをひろげてよっしゃ聴くぞ!という体勢で聞くと、私の場合歌詞に引っ張られ過ぎて最初の感覚を逃すことになるので、極力BGM代わり、みたいな空気で聞くことにしているのだが、ある曲で「あーこれは好きだ」と引っかかってくるものがあって歌詞を見てみた。歌詞を見ながら吉井ってこんな優しい歌い方してたっけ?と思っているとなんだかぼろぼろに泣けてきたのだった。NATURALLYと名付けられたその歌を何度も何度も聞いてしまった。

ぶきっちょで まっすぐ はいいんじゃない?

私はものわかりのいいフリがうまいし大人なフリもうまいので、何かを好きだったり嫌いだったりするのも人それぞれなんて態度を表向きは貫いているわけだけど、でも心の中では世の中にイエローモンキーや吉井和哉を好きじゃない人が居るなんて信じられないとか思ってるし今だって本当は吉井のあんな歌詞やこんなメロディをずらずら並べ立ててどうだ素敵だろう格好いいだろうとぐりぐり押しつけたい衝動が抑えがたくあるわけです。それをしないのは私が逆にそんなことされても引きこそすれ好きになんて到底ならないということがかろうじてわかっているからにすぎない。でも好きになるってそういうエゴを持つことだとも思う。何かを盲目的に一生懸命好きになるって大抵傍迷惑だし格好悪いしみっともないことなんだもの。

私は吉井の書く歌詞が大好きで大好きで、レトリックを駆使した迷宮に迷い込むようなのも好きだし、逆にあっと驚くほどストレートな歌詞にもぐっとくる。吉井の詞は安くなくってそこが好きだと私はいつもいつもひゃくまんべんも言っているのだけど、NATURALLYは実はちょっとその安さが匂わないでもないのだ。こんな「人生応援歌」みたいな曲を吉井が書いて歌うなんてという驚きもなきにしもあらずなんだけど、それ以上にこの歌が優しくて、それは年をとったね吉井さんよ、という部分も含めて私にはたまらず響いてきたのだった。私だって年をとるし、吉井もとるし、みんなとる。そして最後に死ぬ。でも、

その「でも、」が吉井の歌にはある。だから好きだし、だから切ない。でも、のあとに続く言葉はきっと人それぞれなんだろうけど、私が好きなのは「でも、」と顔を上げる意思そのものなんだろう。吉井の人生は「死」に取り囲まれていて、だからこそ絞り出されるように歌う「でも」な言葉に私はどうにもめろめろで、どうやってもこの人から離れられそうにない。そうして何かを一生懸命好きになるみっともなさを自覚しつつもこんなところで好きだ好きだと喚いてしまうのだ。みっともないけれどそれが好きということだから、私はきっといつまでも喚き続ける。だからもし何かの機会があってもし何かの暇があってもしこのCDを耳にすることがあるのなら、8曲目のNATURALLYをもし良かったら聴いてみてほしい。少なくともあなたの3分52秒を無駄にしないだけの曲だと思う。私が保証できるのはそれだけで、そこからは吉井和哉と聴いてくれたあなた二人だけの世界である。どうか沢山の新しい世界が生まれますように。

2005.03.12
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知らない顔

yahooのニュースでも出ていましたのでご承知の方も多いかと思いますが、
THE YELLOW MONKEYがヤフオク史上最大規模となるチャリティオークションを開催中です。
現在最高値をつけているのが、吉井のモーリスのギター。150万。
もちろん私にゃ落とせませんが、別にこの値段にはびっくりしないなあ。倍額ついても当たり前だと思う。
というか、オークションにこの後何が出されるのか知らないけど、これを上回るものっていったらマリーさんの指輪、衣装ぐらいしかないんじゃないだろうか。
それも売ってしまうのかな・・・なんとなく、いやん、な、気もしたり・・・・
衣装もたくさん出品されそうだけど、ヒーセのが欲しいなー。いや、欲しくったって金がなけりゃ話にならないわけだが。
この世は金 金さえあれば怖くないね 僕のオークション(薔薇娼婦麗奈は名曲だ!)
洒落にならねえ。

とは言いながらも、実は「金で解決」というのにそれほど嫌悪感のない私である。金のあるものが勝つ!良いではないか、わかりやすい。芝居の台詞だったと思うのだが、生まれつき金持ちのひとが「金があるというだけでどうして責められなきゃならない。金持ちというのは立派な才能だ」と言っていた。努力していないくせに!と反論されていたが、じゃあ生まれつき美人とかいうやつは努力してんのかYO!と言い返していてなるほどなあと思った。っていうか金持ちだって努力してますよね大抵は。

下手に抽選とかでなんとも思い入れのない奴があのギターをタダでもらうような事態の方がぞっとする。
落札するのがたとえ業者であっても、自分が払った以上の金を出さなければ転売しないだろうし、結局それだけの金を払ってもいい、というひとのところに落ち着くのならそのほうがいい。

じゃあ我々庶民はどうしたらいいのかというと、俺の心の思い出は、いくら積まれたって売らないぜ!心のフォトグラフさ!ハートは印画紙さ!と肩で風切り、そんなもん全然うらやましくないもんね!といきがってかけつけ一杯、熱燗二本にのちふて寝、というのが正しいコースなのであろう。
切な!!

ところで、yahooの記事の見出しでは「新潟支援」となっていたが、オークションの説明の中に大きく取り上げられているのはそちらの方ではない。95年からその施設には支援を続けていたとあるが、私が不見識なだけなのか、まったくそんなことは知らなかった。「社会の行方よりセクシャルなことが好き」と歌っていた彼らだから、そんなことを堂々と宣伝するものでもないと思ったのかどうかはわからない。でもそういうことを表立ったことにしないのは、彼ららしいなあとしみじみと思った。こんな風に馬鹿正直に、解散したから今までのものもすべて手元から手放す、そのある種潔癖さも彼ららしい。さみしさがないと言えば嘘になるが、最後の祭りを、熱燗でしみじみ飲りながら見物させてもらおうと思う。っていうか、俺、飲めないけどな。気分気分!

2005.02.11
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今年の終わり

お気づきの方がいるかどうかわからないが、私は自分の好きなTHE YELLOW MONKEYというバンドのことを、四文字の略称で呼ぶことができない。

呼ばない、というよりこれはもうむしろ呼べない、というのが正しい。昔友人と「催眠術って本当にあるのか」みたいな話をしたことがあるが、あのテレビでよくやる(って、実際見たことないけど)自分が犬だとか鶏だとか思い込むとかいうあれはどうも俄かには信じがたい。でももしかして私があの四文字の略称を使うことができないのも一種の催眠というか暗示なのではあるまいかと。意識して「使わない」と思っているとふとした拍子に使ってしまうかもしれないが、なにしろ暗示にかかっているのだからして、どうにもこうにもいけません。
ってここまで書いてもその名前を出せないところからもお分かりのように、書くこともできないんですね実は。
「イ・・・・イ・・・イエ・・・・言え(書け)ない!」みたいな。もうなんだかちょっとしたSMプレイの様相すら呈して来ているのであって、SMといえば関係ないが最近よく来る迷惑メールの中に「割り切ったSFを希望します♪」みたいな文面があって
それを言うならSMだろおおお!!!!
と思わず迷惑メールにツッこんでしまった私だ。割り切ったSFって、どんな作風だよ。
何の話だ。

おそらくそんな風に呼ばれることを、メンバーが快く思っていないという話や、昔はどこのファンサイトでもあった「略称で呼ぶか呼ばないか」みたいな騒動を見ているうちに刷り込まれたのだとは思う。ちなみに、これはだからほかの人にも使ってほしくないということでは全然、全然、ないんです!このネタを(ネタ言うな)ずっと書かなかったのも、特に思い入れのない方に気を使わせてしまっては悪いなと思ったので書いていなかっただけなんです。他の人が言ったり書いたりしているのを見てもなんとも思わないのですよ、ただ、自分は使えないというだけで。

略称で呼ぶか呼ばないかの騒動なんて、ファンじゃないひとから見たら馬鹿馬鹿しいの一語ですまされるようなものですが、バンドのファンというのは無闇に熱いもので、まあ何かといえばいろいろやってました。プライベートな話題をするかしないかとかね。THE YELLOW MONKEY公式サイトができた当初も、BBSでこの略称問題で紛糾したんだから、なにをかいわんやである。メンバーが嫌がっているのなら呼ぶべきじゃない、略称も愛情表現のひとつ、メンバーが嫌だからって、じゃああんたメンバーが死ね言うたら死ぬんかい!そんなことは言ってねえ!そんな応酬。まったく無駄に熱かった。

私がネットを始めた当初入り浸っていたantinomie syndromeというサイトのBBSでもそういった話題でレスが進むことがよくありました。ファンが増えてくれば増えてくるほどそういう頻度は高くなりました。あるとき、そのサイトのWEB MASTERである人が、サイトにある文章を載せました。私は今まで、ネットの中で幾多の文章を読んできましたが、その文章以上に感銘を受けたものは、いまだにありません。彼女は、いつだって行き着く先は個人の自由という問題だと、そして自由とは、他人の自由を奪わない前提で存在するものだと、そして自分とは異なった考えを持ったひとを否定することばかりを自分の主張にするな、そう書いていました。

私はここを運営していくにあたって、
マナーだとか、エチケットだとか、ルールだとか、
そういうものはできるだけ持ち出したくない。
それよりも、誇りとか、尊敬とか、信頼とか、感銘とか、
共感とか、感動とか、そういうものに支えていって欲しい。
甘いと言われそうだけど。

この六行の言葉は、私がこのサイトをやっていくうえで、もっとも自分に言い聞かせている言葉です。彼女の考えは果たして甘かったのか、その後そのサイトはなくなりました。しかし私は多くのことを彼女に学びました。ネットの楽しさ怖さ、サイトをやっていく上でルールを課せられるべきなのは訪問者ではなく作り手であるべきなのだということも、ひとつのサイトが生まれ、育ち、膨張しやがては消えるその一部始終も、プラスマイナスあらゆる面で、彼女と彼女の作ったサイトがあったからこそ私は自分のホームページを作ることができたのだと思います。

5年たちました。もうすぐ、少しずつ増えてきたカウンターの数字が200000になります。私の思惑以上に、ルールよりも感銘や共感や感動でこの場を満たしてくださった訪問者の皆様に感謝の言葉を。私が四文字の略称で呼べないバンドは消えてしまいましたが、それでも人生は続き、このホームページも細々とながらも続けていくことができそうです。
2004年の年の瀬、いかがお過ごしですか。
どうか来年が皆々様にとって、楽しくすばらしい1年でありますように。

2004.12.31
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ジンルイサイゴノヒ

26日のことというよりは、なんだか結局ひとり上手な話でとっても申し訳ない。

もともと12月から1月の末までやっている「走れメルス」をいつ見に行っても良かった。別に他に観たい芝居もその時は思い浮かばなかったし、ただ自分の仕事の休みがそのあたりに入るんじゃないかという漠然とした予測で12月26日と28日のチケットを押さえただけだった。ところがその休みの予測が外れる。しかも同じ12月にロードオブザリングの音楽を担当したショアのコンサートがあるということがあとでわかる。そのどちらの時にも、一度押さえたメルスの日程を変えることも考えたんだ。でも手元にまだチケットが来ていなかったし、人に譲るにも譲りようがない(日程も日程だし)と思い、休みの調整は粘ることにして、ショアは諦めた。その3日後に来たんだ、今回の東京ドームの案内が。12月26日東京ドーム。16時からフィルム上映。上映後メンバー挨拶。メルスは14時開演、16時終演予定。
結局こうなってるんだな。行けってことなんだなこれは。ライブではないものに必死になるのがなんだか不思議な気もしつつ、ちゃんと律儀に申し込みをした。大阪の分も申し込んだ。充分必死じゃないか俺。

演奏することを、まったく期待しなかったと言ったらそれは嘘です。やっぱり最後は行っておこうと思った気持ちの何分の一かは、1曲ぐらい、やるかも、そういう下心があったからだと思う。でも、地方に住んでいる身としては、「ライブじゃないから」来ない、という決断をしたファンのことを思うと演らないほうがいいのかなと思ったのも偽らざる気持ちだ。愛だけじゃなく時間と財力も試されるのに、確定要素がないとつらい。

本当に、大丈夫だと思ったんだ。大阪でEXIBITIONの展示を見てはしゃいでも、昔のライブの映像を見てときめいても、もうちゃんと吉井のソロの曲も聴けるし昔のCDも聴ける。もうすでに「良い思い出」になりつつあるんじゃないかと思ったんだ。でもドームの前日あたりからどんどんおかしくなってきた。ずーっと考えるんだイエローモンキーの事ばかり。フィルム見て、挨拶して、でもってまた吉井の愛情が溢れすぎてひねりの利きすぎた挨拶に「何を考えて居るんだあいつは」とかいって終わりだ、それで全部。そう思っていても頭の中を、ぐるぐると黄色い猿が回る回る。

フィルムが終わって、暗くなって、遠いステージに4人の姿が出てきても、ぶっちゃけ遠すぎてモニター越しでないと顔もわからないし、うわーーエマ髪切ったら弟とそっくりだな!とか、そんなことを考えて居られた。全然泣いてなかった。でも4人がそのまま前方に作られたステージに進み、エマがギターに手をかけたその瞬間にぐらぐらきた。やっぱりやるんだ、やっぱりやるんだ。何を?そしてあの音が聞こえてきた。繰り返し繰り返し、何度も聞いたあの「JAM」の。
泣いた泣いたと自分の行動を告白するのなんて馬鹿らしい事かもしれないけれど、吉井の声が聞こえてきた瞬間に、私は泣いた。8月2日にあの手紙が着いてから、ため込んでいたものを押し流すようにめちゃめちゃに泣いた。これが最後だから4人を見なきゃいけない、でも涙がどうやっても止まらない。最後だから、最後だから、最後なのに。

どうしてJAMなんだろう、ということは、やはり考える。東京ドームのラストが犬小屋、わたしはそれも美しい最後だと思ってはいたので、なぜ、最後にJAMなんだろう?単純に代表曲だから、知名度があるから、吉井のお気に入りだから?本当のことはわからない。ただ、個人的な話になるけども、最後のJAMを聴きながら私にとってのイエローモンキーはJAMで始まり、JAMで終わることになるんだな、とも考えた。結局ここに帰ってくるんだなと。

JAMという曲は疑いなく素晴らしい曲だけど、あまりに一人歩きが過ぎてしまっている感が強い。その短いながらも非常に挑発的な「乗客に日本人はいませんでした」という部分だけがクローズアップされすぎて、ある意味手垢の付いてしまった曲になった感じもある。だけど私は、JAMという曲は一見パブリックな顔をしているけれどこれ以上ないぐらいパーソナルな歌だと思う。自分の、世の中のどうしようもなさの中でひとつだけ、ただ君に会いたいと叫ぶ。それは私にとってとてつもなくリアルだった。それは奇しくも吉井が言ったように「君たちと俺達のロックンロール」そのものだった。

そのままJAMの最後を観客のコーラスに託して、4人は手を振って消えた。言葉はなかった。あの演奏が言葉の代わりなんだろうと思う。
僕は何を思えばいいんだろう 僕はなんて言えばいいんだろう 
だからJAMなのかな。でも、本当の理由なんてどうでもいいのかもしれない。

彼らの最後はカッコイイものでは決してなかったと思う。鮮やかな幕切れというには到底程遠かった。まったくどこまでも不器用な連中だなあとも思う。でも、大阪の時も思ったが、最初に聞いたときは微妙だと思ったこのイベントも、彼らなりの一生懸命の表れなんだろうなと感じた。あの誰もいないステージをずっと照らし続ける照明や、どうやったって懐かしさを感じてしまう展示の数々、復刻されたグッズ、もちろん私達は金蔓ではあるけれど、それ以上の誠意も感じたのだった。東京ドームなんて、このためだけに借り切ってクレーンまで用意して、誰もいないステージなのに。24日のクリスマスイブに必着で届けられたFCからの冊子も、すごく凝った作りの本で、活動していない期間のFC会費は別途払い戻すのに、これだけのことをしてくれたのは正直嬉しかった。彼らはいろいろ考えて、それは間違っていたりうまく伝わらなかったりしたけれど、でも誠実ではあったと思う。一生懸命であったと思う。それは嬉しかったし、有り難かったし、救いだった。

私にとってこのドームは、やっとちゃんと泣くことができたという意味で大きかった。ああやって本当はずっと泣きたかったんだな。勝手な思い込みかもしれないけど、イエローモンキーのファンはなかなか素直でない人が多いので(勿論私も含めて)、結構頑張って自分を律していたひとも多いんじゃないだろうかと思う。でもあのライブの前ではそんなものは役に立たなかった。やっぱり彼らはライブの人だった。ライブのバンドだった。その最後が言葉ではなくライブであって、やっぱり良かったのかもしれない。

昔のライブの映像を見る。やっぱり彼らはカッコイイ。解散を聞かされた当初の、ライブの映像を思い返したあとに来る「もうこれが二度とない」という重たい喪失感から、すこしは自由になった気がする。彼らは最高に格好良かった。どれだけ言葉を尽くしても、結局はそれが全部なのかもしれないな。

これだけ色んな思いをさせられても、もう一回人生やり直せるといわれたら、また同じことをしたい。もう一度イエローモンキーと出会って、余計なものも一緒に最高に素敵なものをもらいたい。
そう思えるロックバンドと出会えて、幸福でした。

どうもありがとう。

2004.12.26
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回顧録

さて昨日はTHE YELLOW MONKEY EXIBITIONが大阪の厚生年金であった。私は夜勤明けでしかも4時から顔見世。どんな売れっ子スケジュールだ。なのでフィルムは見ず楽器とかの展示と物販だけを見に行った。会場の前で待ってたらちょっと雨が降り出しておまえらどこまで雨男なんじゃ!と八つ当たってみたらすぐにやんだ。ビバ八つ当たり。
正直めちゃめちゃ見る前はクールに構えていた私ですが目の前にあれやこれやが並ぶと簡単に吹き飛ぶネジに笑った。ま、いちおうデジカメとか持っていってみる?とか思っていたけど撮りまくってやんの。デジカメ持って行ってる時点でなにをかいわんやではあるが。
しかし、一番見たいかなと思ったのは衣装だったが、実際見てみると「これってステージで見るから格好いいんだよなあ」と改めて思った。っていうかあれを格好良く着こなしていた彼らはある意味すごいと思う。メカラの、アレックス仕様の衣装とかあったら良かったんだがそんなものはなかった。残念。自転車スーツは笑った。撮ったよもちろん。寄りで。

しかし、衣装より写真より楽器より、一番私を直撃したのは厚生年金のステージの上にあった「あるもの」だった。会場に入った瞬間思わずよろめいた。うーん不意打ち。そうくるか。泣きはしなかったがしかし何とも言えない気持ちになった。会場で撮った写真はいろいろ権利関係ややこしそうだがこれは多分いけるだろう、ということで載せる。
君の景色
マイクの位置が高いのはもちろん吉井の背が高いからで私の背が低いからじゃない。だれだ、どっちもだろと言っているひとは。その通りだ。

これが吉井が見ていた光景。

飾られていた写真の中に3.10横アリのあの写真もあって、その前で思わず足を止める人が沢山居た。あの時吉井は「葬式のよう」(・・・今思うとこれも本当にむかつく発言なわけだが)だと言っていたけど、でもだれも居ないステージを見ているとこれが本当の葬儀だなあという感じに思えて仕方なかった。

しかも京都から帰ってきたらWOWOWで「THE YELLOW MONKEY LIVE REGACY」という番組をやっていたわけだ。さすがWOWOW、初期の頃からいい映像ソース持ってる。個人的にFIXの横アリで「NAI」をチョイスしたところを大々的に褒めたい。あと「つわものどもの熱帯夜」からの「This is for you」。最後は犬小屋。思えば、犬小屋が彼らの最後の曲になった。インディーズから最後のドームまで、犬小屋で始まり犬小屋で終わった。そう思うと東京ドームのラストがあの曲だったのは良かったなと今更ながらに思う。

1時間半あまりの過去のライヴ映像。ごめん、ふつーにギャーギャー言いながら見てた。だって格好いいんだもん。仕方ない。格好良すぎるんだよ!私の考える「格好良さ」は全部ここにあると言っていい。ここにしかないと言ってもいい。手も腕も交わす目線も跳ね上げる足もおかしな仕草も投げるピックもスネアの音も響くベースもあのリフも、キチガイみたいな目をしたあの男も格好良すぎる。
ちくしょう。

物販にジャガーのパンフの復刻版があって、その中のインタビューであの鼻デカ兄さんこう言ってます。
「THE YELLOW MONKEYが無くなることが、あなたにとって最大の暴力となりますように」
・・・・・こんちくしょう。

2004.12.22
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卑怯だ!

お猿さん達が解散するので(ってすらって書いてみたけど素通り出来ない重さ)、ベストアルバムやらDVDBOXやら「さあ!ファンから一銭残らず巻き上げろ!」な商品がたくさん出るわけでして、まあ個人的にベスト盤はやつらがどういうチョイスをするのか興味津々だったりしたんですが、ええ、まあ、どうなんですか?(誰に聞いてるの?)とりあえず無難な選択?SICKS率がものすごく高い気がするのは気のせい?いや、マイベストアルバムもSICKSなんで何ら異存はないですが。個人的にはNAIが入ってるのは嬉しい。限定版の3枚目も嬉しいんだか嬉しくないんだかよくわからないチョイスながらMOONLIGHT DRIVEとBULBがはいったのは嬉しいな。シングル持ってるけどさー。

ところで今までのライブ映像コンプのDVDBOXですが、私はビデオが特典映像付きでDVDとして発売になって間もなく特典映像目当てに全作買い換えたお馬鹿さんであるからして、まあ当然このBOXはスルーだろうと思って気にもとめてなかったんですけど、今ふと詳細見てみたらアナタ。
9枚のDVDに1枚DISCがつくんですけど、それがLIVE特典映像&未公開LIVE映像集ってなってるわけですよ。
特典映像はいい、持ってるんだから。でも、でも、でも未公開LIVE映像って何・・・!?
自分の持ってるDVDと首っ引きで確認作業。
判明。
2000.5.10横浜アリーナから7曲、そして1994.7.17日比谷野外音楽堂から6曲。
横アリはいいですよ、見たから生で。問題は野音だよ、これたしかつわものどもの熱帯夜のツアーじゃないの?(そんなこと覚えてるお前が痛すぎ)でもまあいいや、これRomantist TasteがjaguarのDVD特典で入ってたけどあんまり好みの衣装じゃなかったから・・・って
なんで4000粒が入ってるの?
これ・・・これ、確か「これで最後」つったマリーさんの4000粒じゃないの?
てめえそういうものを入れるつもりだったんなら最初っからいれやがれなんで先にお金落とした方が損するような仕組みになってんだよ納得いかねーよつーかどうせDVDもちゃんと焼き直してメニュー画面とか凝りまくりやがるんだろうけっなんでえ今のしょぼいメニューはよ!つーかTRUE MINDなんて見すぎたせいかDVDプレイヤーが認識してくれねーんだよどうしてくれるんだよあああ!?(最後逆ギレ)
まああれですよ、いくら私でもこの1曲のためにか、買わないけどね・・・(語尾を濁すな)

2004.11.25
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遠くの景色

先日発売になったロッキンオン社発行の「bridge」に、イエローモンキーの解散について、メンバー4人全員のインタビューが掲載されている。私はこの記事のことを全く知らなかった。8月2日以降、私はイエローモンキーと吉井和哉に関する全てを意識的に遠ざけていたからだ。買ったばかりの吉井のシングルは結局封も開けずにいた。それは買ってきたその日の午後にあの手紙が届いたからだ。公式サイトなどで取材を受けたと吉井が言及していたそうだがそれも知らなかったし、ロッキンオンのサイトでこのインタビューのことが告知されていることも知らなかった。

だから本屋でそれを見かけたときは思わず動きが止まった。表紙の4人の写真は、同じ時に撮影されたものが今月のJAPANにも載っていたので、JAPANの記事の中身が見えているのかと一瞬思ったぐらいだ。bridge、4人のインタビュー。どうしよう、と思い、困ったな、と別に困ってもいないのになぜだかそう思った。手に取ったが、結局店先では表紙をめくることもできなかった。

私のサイトを訪れてくれている人の中にはイエローモンキーのファンも少なからず居ると思うので、具体的なインタビューの内容には極力触れたくない。読むという選択をするなら、まず実際に読んで貰いたいし、今更そんなもの読みたくないという人だっているだろうと思うからだ。

思ったことは、色々あり、考えたことも、色々ある。でもひとつだけどうしても、たとえどんなに前向きな解散だったとしても、解散という事実は絶対的にネガティブなものだ。結果としてポジティブなものが生まれたとしても、解散という事実の重さはそれによって精算されるものじゃない。インタビューを読んだ今でも「解散して良かったんだよ」なんてことは私は絶対に言いたくない。解散はひどいことだった。あれはまったくひどいことだった。私は深く傷ついたし、今でも傷ついてる。ただ、ひどいことだったけれども「それしかなかった」という彼らの選択は、しょうがないものなのかもしれないと思う。

インタビューの中で渋谷さんも言っていたが、覚悟をしていたはずなのに、いざ解散と言われるとうろたえた、それは私も同じだった。以下の文章は私がほぼ4年前、日記で書いたことだ。

私はこの休止を自分の中でほとんど解散だと思っている。
今までの4人には、1月8日でいったんサヨナラだと私は思っている。
だって、吉井はもう一度4人でやることを願っていると思えるが、信じているとは思えないんだもん。
だから、もう一度4人が、心の底から一緒にやりたいと願っている4人が
私の目の前に現れたら、それは奇跡だと思うことにする。
で、奇跡が起こることを、願っている。
同じじゃん。つか、よけい、たちが悪いな。あたす。

ああ、全く今読むと、昔の自分の方が覚悟決めていたんだな、と思う。なのに、あの日、4人からの手紙に私はうろたえまくった。こんなに激しく人を罵ったことはないというぐらい彼を罵った。分かっていたはずなのにな。それは渋谷さんのいうように「依存」なのかもしれない。でもそれがファンだけではなく、覚悟を決めていたはずなのに、喪失感に耐えられなかったと他の誰でもないメンバー4人がそれぞれに語るのを見て、だからこそ「解散」に至ったのかもしれないなと、私もぼんやり思うようになった。イエローモンキーの存在の重さが、それをさせてしまったのかもしれないと。

インタビューの中身に、それぞれ思うことは違うだろう。解散そのものの是非も、人によって思うことは違うだろう。だけどこのインタビューを聞けたことは、私には良かった。少なくとも、棚にしまったままの「トブヨウニ」の封を開ける気にはなった。結局、イエローモンキーとの関係で得た傷は、イエローモンキーにしかふさげないということなんだろう。解散したことの傷は、だから一生埋まらない。埋まらなくていい、と私は思う。そんな簡単なものじゃなかったからな。彼らがもし、万が一、戻ってきたら、私は「そんな格好悪いことすんなよな〜」と言いながら、それを絶対受け入れるだろう。罵りながら、ライブに行くだろう。帰ってなんて来なくて良いよ、と言えるほど私は彼らを嫌いになれない。いや、違う。嫌いにはなれる。でも無関心にはなれない。絶対に。

最後にひとつ、今回のインタビューで吉井は(他の3人も)ほとんど「ファンの皆様に申し訳ない」とか「ファンの子のために」とかいう台詞を言っていない。それはとても嬉しかった。前JAPAN編集長の兵庫さんは今月号の寄稿で、休止したままほったらかしていてもいいのに「ファンのために」それはしなかった、というようなことを書いていたがそれは違う。もしイエローモンキーがそんなエセヒューマニズムに溢れた物言いをするようなバンドだったらそれこそ解散よりそっちががっかりだ。彼らは目に見えない、形のない、だけど確かにある「イエローモンキーのため」そして何よりも「自分のため」と何度も語った。それは私にはとても嬉しいことに思えた。

吉井さん(と、呼ぶのも久しぶりだが)、あなたは私達に謝ったり気を使ったりしないでいい。いや、するべきじゃない。私達も勝手にあなたを愛したり、憎んだり、入れあげたり、罵ったりするだけだ。あなたはそれを受け止めたり聞き流したりしながらただ前を向いて進んで欲しいと思う。こうなったからには、それが吉井さんにできるたったひとつのことだろう。

かくてボートは燃やされた。
燃やされたボートを惜しむ気持ちが、正直私にはまだある。でも、しょうがない。燃えかすではボートは作れない。犬小屋に繋がれていた首輪の枷は外された。私は見ている。ただずっと、見ている。

2004.10.02
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